わかれをかさねる
少し前に、たまたまというか、わりとよく行く道の駅に行った。何を買うというわけでもないけれど、なにか野菜があるといいなというくらいの気持で。すると、桃や梅や桜や辛夷などの束が無造作というぐらいどうでもいい感じ(どれも100円〜150円くらい)で売られていた。ぼくは、そのどうでもいいようななかから桜をえらんで、レタスのような葉物の野菜といっしょに抱いてレジで精算した。桜の蕾は固く閉じていたけれど蕾の数はとても多かった。
鳥取は三月もやはり気温があがらない日がつづいていていたけれど、テーブルの隅においた桜はすこしずつ蕾をふくらませていった。やはり室内はあったかいものなのだ。
昨日になってこの桜の束がほぼ満開になった。毎日おきると水をかえていたが、それ以外にはまったくなにもしていないのに桜は花を咲かせた。すごいな。
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人は現在の自分からのみ成り立っているのではない。(略)ひとつの地表の下にいくつもの違った地層が重なっているように重なりあっている。三十六歳のあなたは、あくまで地表であるにすぎない。ーというような比喩を使って考えたかどうかは知らないが、この本は、そのような発想に基づいて、地表の下に埋もれている過去の自分の地層を明るみに出そうとする試みである。前作『冬の日誌』では、かつての自分の身体に起きていたことを著者オースターは発掘した。そして今度はこの本で、かつての自分の心に、内面にー内面と呼ぶに相応しいものが誕生する以前までさかのぼってー何が起きていたかを思い出し、生きなおそうとしている。
ことは、
ひとは、
すこしまたすこしとかわってゆく。
それぞれに別れ告げ、それをかさねながら。
牛乳
ここのところ牛乳を飲むようにしている。
どうしてかというさしたる理由があるわけではない。なんとなく500㎖パックを買った。そして、あたためて飲んでみた。するとこれが意外にも、予想以上に、おいしかった。それで、500では飽き足らず1ℓパックを今回は飲んでいる。実に美味い。
今夜は雪が落ち着いた。ちょっとだけ雪かきをしていたら斜交いのお嬢さん(といっても成人)が出てきてやはり雪かきをはじめた。「こんばんは」と挨拶した。それから本当にこまったことですねぇなどという話題から朝はやく家をでないといけないという流れになった。お嬢さんは、遠い職場なので6時にはでないといけないと。ぼくは6時45分ごろ出てます(ここ数日の雪のあいだ)といった。ぼくもわりと遠いと思うが、それよりもずいぶんと遠いところにお勤めなのだとおもった。斜交いに住んでいるといってもまだこの町に住みはじめて3年くらいなので知らないことは多いのだ。
雪かきの後、あたためた牛乳を飲んだ。
河野裕子短歌賞のこと
河野裕子短歌賞に2年連続で応募した。
といってもぼくではなくて若人たち。少数精鋭で去年は入賞2名+入選1名。もう去年のことになってしまったけれど、本年度は入賞1名+入選3名。40名×2首の応募でしかしていないので受賞率としてはすこぶるがんばっていることになる。(本年度の「青春の歌」部門の応募総数は15,070首)
入賞作品と入選作品をみるとわかるが、組織ぐるみでというか学校全体で取り組んで相当数応募しているところがある。学習院女子高等科というのは、もうすぐ発表がある若山牧水青春短歌賞の受賞作にもたくさんでてくるのできっと現代短歌をやっている仕事人がいるのだろうとおもう。それとも短歌をつくることに長く取り組んでいる伝統校なのか。そうそう、その若山牧水青春短歌賞にもこじんまりと50名ほどでやはり応募している。こちらに応募するのははじめてなのでどうなることか。永田和宏さんや紅さんという選者のところまでいくつか残っているといいなとおもうばかりだ。