おいしいものをちょっと
いま実家の道子がつくった大根が終わりを迎えてとにかく一気に抜かれた。もう捨てるしかないというが、皮を厚く剥いて食べると瑞々しくて、何より甘い。それで、いまお昼もほぼ生の大根サラダをがっつりたべている。
おいしいものをちょっとだけでいいから、食べたい。というのは、ぼくぐらいの年齢になると、ほとんどのひとがそう言う。ま、実際のところはわからないが、例えばお肉などは、明らかに量より質の年齢になった。
先日、近所の、歩いて15分ほどの焼き肉屋さんへ行った。わりと昔からのお店なのでおしゃれなお店ではないが、味は定評があるところ。舌、カルビ、横隔、など少しずついただく。うまい。それで、「今日の特選」というお肉がメニューにはあって、たずねてみると、「きょうはミスジですね」という。わーい。まさにおいしいものをちょっとだけ、ということにぴったり。
コーヒー
高安国世全歌集をざーっとそれはそれは粗くみてみたところ、「コーヒー」の歌は次の二首しかないのではあるまいか。(追記。松村正直さんによって、以下の歌の指摘がありました!)
カタカナ以外だと
Coffeeのe一つ剥げし壁面に向いて長く待たされている/『街上』1962
話はもどって、その二首。
コーヒーの湯気消えてゆく赤壁の思わぬ高さに黒き掌の型/『虚像の鳩』1968
騒然たる雨の舗道の音を愛すコーヒーを飲みし身は暖かく/『湖に架かる橋』1981
ところで、「コーヒー」という表記は、じぶんの歌に入れるときに「珈琲」にしたい気持になるようにおもう。でも高安さんはそうはしていない(とおもう。「coffee」の歌もあったし、「珈琲」の歌もあるかもしれない。)
ふるさとの訛(なまり)なくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし/寺山修司『空には本』1958
啄木の歌とのことはさておき、ここでは「モカ珈琲」と書いている。どうだろう。ぼくなら「モカコーヒー」にするのではないかな。その時代は「モカ」「珈琲」との表記が普通だったのか。
珈琲(コオヒー)を活力としてのむときに寂しく匙(さじ)の鳴る音を聞く/佐藤佐太郎『星宿』1983
佐太郎にはなんとなく珈琲の歌がわりあいあったのではないかというおぼつかない印象記憶がある。それで、たまたま手もとに一番近かった『星宿』をみると、上のようにルビをうっている。「ノート」を「ノオト」とするような感じの、その言語本来の発音に近い表記をするということが意図されているのだろう。きっと。とりあえず外来語の表記については
外来語の表記:文部科学省を出しているけれど、これをすべて読む気力がないので、リンクを張っておく。
話は、コーヒーにもどって、例えば「モカ」は「モカコーヒー」と表現することがあるだろうけれど、「ブルーマウンテン」や「イエメンモカマタリ」などの豆は「ブルーマウンテンコーヒー」とか「イエメンモカマタリコーヒー」などと表記しようものならそれだけで短歌の音数の半分くらいを使うことになる(それはそれで楽しいけれど)。そうなると「モカ珈琲」のように「ブルーマウンテン珈琲」「イエメンモカマタリ珈琲」などもほぼ目にする機会はないだろうと予測される。と、書きながらこれはこれで実は味わい深い表記だなともおもってしまう。(どっちだよ!)
ところで、ぼくの珈琲豆は「まるたつ」珈琲に定まって長い。「まる達さん」「達さん」と呼ばれる先輩がやっている焙煎屋さんで、ほんとうにおいしい。手仕事とはこういうものだという感じで焙煎の前と後でそれぞれよくない豆を一粒ずつ取り除いたり、気候や豆によって焙煎時間や温度の調整をなさったりしている。なおかつ、いやそれ以上に、環境についても深い考えや思想をお持ちで、木樵のような山での生活をなさっている(ちょっと大袈裟だけど)。その達さんには珈琲を淹れるためのグッズも紹介してもらっていて、写真のミルはもう13年くらい前に購入したものだ。手動のものももっているが、このフジロイヤルの電動ミルはほんとうにすばらしい。挽き具合が安定しているし、なにより、壊れない。飲むぞ!というときには直ぐ挽けるるし。名器とはこのこと。
あした先づ飲む珈琲はくさぐさの思想より濃く胃の腑に沈む/高野公彦『淡青』1982
わかれをかさねる
少し前に、たまたまというか、わりとよく行く道の駅に行った。何を買うというわけでもないけれど、なにか野菜があるといいなというくらいの気持で。すると、桃や梅や桜や辛夷などの束が無造作というぐらいどうでもいい感じ(どれも100円〜150円くらい)で売られていた。ぼくは、そのどうでもいいようななかから桜をえらんで、レタスのような葉物の野菜といっしょに抱いてレジで精算した。桜の蕾は固く閉じていたけれど蕾の数はとても多かった。
鳥取は三月もやはり気温があがらない日がつづいていていたけれど、テーブルの隅においた桜はすこしずつ蕾をふくらませていった。やはり室内はあったかいものなのだ。
昨日になってこの桜の束がほぼ満開になった。毎日おきると水をかえていたが、それ以外にはまったくなにもしていないのに桜は花を咲かせた。すごいな。
***
人は現在の自分からのみ成り立っているのではない。(略)ひとつの地表の下にいくつもの違った地層が重なっているように重なりあっている。三十六歳のあなたは、あくまで地表であるにすぎない。ーというような比喩を使って考えたかどうかは知らないが、この本は、そのような発想に基づいて、地表の下に埋もれている過去の自分の地層を明るみに出そうとする試みである。前作『冬の日誌』では、かつての自分の身体に起きていたことを著者オースターは発掘した。そして今度はこの本で、かつての自分の心に、内面にー内面と呼ぶに相応しいものが誕生する以前までさかのぼってー何が起きていたかを思い出し、生きなおそうとしている。
ことは、
ひとは、
すこしまたすこしとかわってゆく。
それぞれに別れ告げ、それをかさねながら。
牛乳
ここのところ牛乳を飲むようにしている。
どうしてかというさしたる理由があるわけではない。なんとなく500㎖パックを買った。そして、あたためて飲んでみた。するとこれが意外にも、予想以上に、おいしかった。それで、500では飽き足らず1ℓパックを今回は飲んでいる。実に美味い。
今夜は雪が落ち着いた。ちょっとだけ雪かきをしていたら斜交いのお嬢さん(といっても成人)が出てきてやはり雪かきをはじめた。「こんばんは」と挨拶した。それから本当にこまったことですねぇなどという話題から朝はやく家をでないといけないという流れになった。お嬢さんは、遠い職場なので6時にはでないといけないと。ぼくは6時45分ごろ出てます(ここ数日の雪のあいだ)といった。ぼくもわりと遠いと思うが、それよりもずいぶんと遠いところにお勤めなのだとおもった。斜交いに住んでいるといってもまだこの町に住みはじめて3年くらいなので知らないことは多いのだ。
雪かきの後、あたためた牛乳を飲んだ。
河野裕子短歌賞のこと
河野裕子短歌賞に2年連続で応募した。
といってもぼくではなくて若人たち。少数精鋭で去年は入賞2名+入選1名。もう去年のことになってしまったけれど、本年度は入賞1名+入選3名。40名×2首の応募でしかしていないので受賞率としてはすこぶるがんばっていることになる。(本年度の「青春の歌」部門の応募総数は15,070首)
入賞作品と入選作品をみるとわかるが、組織ぐるみでというか学校全体で取り組んで相当数応募しているところがある。学習院女子高等科というのは、もうすぐ発表がある若山牧水青春短歌賞の受賞作にもたくさんでてくるのできっと現代短歌をやっている仕事人がいるのだろうとおもう。それとも短歌をつくることに長く取り組んでいる伝統校なのか。そうそう、その若山牧水青春短歌賞にもこじんまりと50名ほどでやはり応募している。こちらに応募するのははじめてなのでどうなることか。永田和宏さんや紅さんという選者のところまでいくつか残っているといいなとおもうばかりだ。