みずたまり

はしりながらねむれ

さつき

店のおばちゃん(といってもぼくよりは若いかもしれない)に、おいくつですかと聞かれた。

 

年齢を聞かれるというのは、2005年にウィスコンシンにいたときがもっとも多かった気がする。気がするというのは、もちろんぼくもいまより12歳くらい若かったのだから確かに若いのだけど。やはりというべきか、日本人(アジア人)は若くみられるという、一般的によく言われていることにぴたっとあてはまる反応が多かったからだ。ビールを飲みに行ってI.D.を見せろといわれたり、歳を尋ねられたりしたこともあったくらいだった。

 

それから、日本に帰ってきた後も、初めて行く美容院や初めて会うひとに、その後意識しすぎなのか、若くみられることが多いのではないかと(気がする程度だか)おもうようになった。

 

それが特に近年多くなった。若い!というリアクションが。といって、これは、ぼくに限ってのことではないのではないか。ワカモノが子どもっぽいとかおさないとか、美魔女とか、耳にする。高度経済成長期のころより、きっと、ぜんたいてきに、年齢に比して若く見えるというか年齢と見た目のなんとなくのメジャーがずれてきたのではないかとおもう。

 

5月になったこととは、まったく、関係ないのだけれど。ズレたメジャーをおもうのである。

 

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出町柳の小径に

 京都産業大学神山ホールでの平田オリザさんの講演と永田和宏さんとの対談をきき終えたあと、バスで出町柳駅まで塔のなかまと帰り着く。そこからとりあえず晩ごはんのお店をなんの手がかりもないまま、あてどなく、こっちにありそうという嗅覚で、小径に入る。いや、入る直前に自然派な感じのお店があって入ったのだが、あと30分で閉店ですと言われるままにその店をあきらめ、その先の小径へと曲がり入った。

 

 果たして。「かぜのね」というただならぬ雰囲気とでも言おうか、ぼくの嗅覚にすっとくる素敵な感じのお店があらわれた。いざ行かん!ということで入る。がらがらと古い駄菓子屋の玄関のような戸をあけると、入って左手に小さなカウンターある。そこには常連さんと思われるひとが2、3人座っている。ちらりとそのひとたちにぼくたち4人は品定めのように見られる(完全なるアウェー感!)。カウンターの背後にあたる店の真ん中には食堂のテーブルのようなテーブルと椅子5脚くらいがあって、その奥に座敷というか畳のスペースがあり4人ようの机とふたりようのそれがあり、そこに4人で座る。自然な感じの健康的な料理ばかりで7品くらい注文。黒板には純米酒が8種類くらい書いてあった。4人のうち2人はほぼノンアルコールであったがぼくともうりとりは2人でどんどん飲んじゃう。ノンアルコールのふたりはご飯と筍のスープを最後には注文し、まさに、ヘルシーなる夜ごはんとはこのこと。

 

 写真は高瀬川沿いのハナミズキ。「かぜのね」では写真を撮ることさえわすれてしゃべって飲んでいたのだった。

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5C

高速バスに乗ることもたまにある。

京都や大阪へはほとんどの場合、スーパーはくとを使うのだけど、時間の都合や価格の問題で、日本交通の高速バスに今日は乗った。

 

連休前だからと警戒して早めに席を予約してチケットを購入していた。

 

席の予約のときのこと。電話オペレーターのお姉さんが、いまなら1人がけの席は全て空いていますよといってくれた。ぼくは特にこだわりがなかったので、1人がけの席ならどこでもよいので、とお任せした。実際、買いに行くと5Cという席であった。

 

さて、本日乗ろうしたところ、バスの車種がかわって、5Cはトイレになりました。といって予約の入っている座席表を運転手さんが見せてくれた。たしかにトイレ。で、2人席はがらがらに空いていますので、どこでも好きなところにお座りくださいとのこと。しかして、ただいまとなりの席に鞄を置いてゆったりと座っている。

 

写真は道の駅かわはらのそばのバス停からみた霊石山(れいせきざん)。2コマやっつけてから急いでバスに乗ったのだった。

 

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シバザクラ

桜がちりはじめた鳥取

むかし、シバザクラを嫌いだというひとがいた。どうしてきらいなのかという理由をきいたのか、きかなかったのか、それさえも覚えていないくらい、とにかく嫌いということが印象にのこっている。シバザクラ。それほど嫌われる類のものではないのではないかと、ぼくはおもうのだが。いま鳥取シバザクラはどこも花の盛りを迎えている。

 

ときおり、器が小さいとじぶんのこと(ひとのことも)をおもうことがある。大概そういうふうにおもうのは、名誉や地位や評価やお金が、直接には自分にからんでいないのに、あたかも自分に直接にかかわることのように思ったりしたときだ。

 

器自体のサイズをかえることはできないから、いますでに器をみたしたいて、しかも、大切そうに思えるものを器の外に出せば、器の容量に余裕がうまれると考える方法が、先日の朝日新聞の「折々のことば」に載っていた。なるほどそうか!と思う。思う一方で、短歌のことをふとかんがえた。

 

短歌をやっていて、いつまでを初学者というのかは、わからないが、まあともかく、自分がまだ今以上に初学者だったことろに、よく詰め込みすぎとか説明しすぎと評された。たしかに、それはそのとおりで、いまでもそれらを妥当だとおもうし反論するところではない。でも、そのときは、短歌の定型になんとかして盛り込みたい言葉がありわ、なんとかしてこんなふうにこの短歌という詩型のなかでなにごとかうごかしたいとおもうところがあったのだ。別の角度から言えば、歌としてのよしあしの見定めなんてないのだから、こんだけのおもいをのせるぞ、と思っていることをコントロールするなどと発想することはではないのだった。

 

それなら、いまはどうか、と、考えて見みると。その頃に比べれば、短歌の詩型という器をもう少し俯瞰的に見ることができているのではないかしら(もちろんそれとて自己内の相対的ものであるが)とおもう。が、賞とも無縁のままであるし、烏瞰的にといっても仙人の域にはとうてい至っていない。

 

具体物としての器の話題にかえってみると、器の容量はかわらないから中身を捨てなさいというのは、器の容量をわかっているひとができることだ。つまりは、はじめから器の容量や特性を知っているならば捨てることも残すことできちゃうというわけだ。だから、繰り返しになるけれど、そんなことを為せるのは器を手に持てたり、器を高いところから見ることができたり、使いたいときにつかうことができたりする立場になければ叶わない。器もんだい。

 

じぶんのことにまたあらためてこの発想を照り返してみると、どうだ。じぶんのことや特性がそれなりにわかってないと、器をからにしたり、中身を整理したりはできない。つまるところ、じぶんのことを理解するという甚だ難しく困難をきわめる作業をしつづていくのが人生ということか。それなら、まあこれは捨ててもよかろうとか、価値観を大転換しないと器が、じぶんがつぶれる、と察知することができる段階とは、それなりの修練や経験や年齢を重ねた相当に仙人の域に達している場合となろう。仙人かー。

 

だから、当面そういうことがわからない段階においては、つまり仙人には至らない段階にあっては、じぶんの器に何がのりやすいのか、どれくらいのせられるのか、そんなことをやってみるのを繰り返し繰り返しやる以外にはないのではなかろうか。

 

仙人にならないと、器のサイズはかわらなちから、捨てて良いものも捨てちゃいけないものも判断しにくい状況に、いつもぼく(たち)はいる。まあ逆にいえば、判断基準がわかっていることが仙人の域に至るということになる。

 

とはいえ、仙人には至らなくとも、器の容量はかわらなくても、あれこれやってみると、載せるものの質がかわったり、器の形がわかったりして、のせやすくいれやすく、あるいは、はじきやすくなっていく段階がくるのではないかなとおもうのだ。これは、短歌の定型や口語へのとりくみと同じアナロジーで。

 

大きくて美しい民藝のうつわなどにちょこんと美味しいものがのっかっている図を夢想しながら、ぼくはぼくに、あるいは短歌という詩型に異物をのせようとすることをやめないようにしたいとおもう。仙人じゃないんだし、いや、仙人にはなれそうもないのだから。そんな器ではないのだから。

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おいしいものをちょっと

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いま実家の道子がつくった大根が終わりを迎えてとにかく一気に抜かれた。もう捨てるしかないというが、皮を厚く剥いて食べると瑞々しくて、何より甘い。それで、いまお昼もほぼ生の大根サラダをがっつりたべている。

 

おいしいものをちょっとだけでいいから、食べたい。というのは、ぼくぐらいの年齢になると、ほとんどのひとがそう言う。ま、実際のところはわからないが、例えばお肉などは、明らかに量より質の年齢になった。

 

先日、近所の、歩いて15分ほどの焼き肉屋さんへ行った。わりと昔からのお店なのでおしゃれなお店ではないが、味は定評があるところ。舌、カルビ、横隔、など少しずついただく。うまい。それで、「今日の特選」というお肉がメニューにはあって、たずねてみると、「きょうはミスジですね」という。わーい。まさにおいしいものをちょっとだけ、ということにぴったり。

 

 

コーヒー

 高安国世全歌集をざーっとそれはそれは粗くみてみたところ、「コーヒー」の歌は次の二首しかないのではあるまいか。(追記。松村正直さんによって、以下の歌の指摘がありました!

カタカナ以外だと
Coffeeのe一つ剥げし壁面に向いて長く待たされている/『街上』1962

珈琲豆 | 塔短歌会

 

 

 話はもどって、その二首。

コーヒーの湯気消えてゆく赤壁の思わぬ高さに黒き掌の型/『虚像の鳩』1968

 

騒然たる雨の舗道の音を愛すコーヒーを飲みし身は暖かく/『湖に架かる橋』1981

 

ところで、「コーヒー」という表記は、じぶんの歌に入れるときに「珈琲」にしたい気持になるようにおもう。でも高安さんはそうはしていない(とおもう。「coffee」の歌もあったし、「珈琲」の歌もあるかもしれない。)

 

ふるさとの訛(なまり)なくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし/寺山修司『空には本』1958

 

啄木の歌とのことはさておき、ここでは「モカ珈琲」と書いている。どうだろう。ぼくなら「モカコーヒー」にするのではないかな。その時代は「モカ」「珈琲」との表記が普通だったのか。

 

珈琲(コオヒー)を活力としてのむときに寂しく匙(さじ)の鳴る音を聞く/佐藤佐太郎『星宿』1983

 

佐太郎にはなんとなく珈琲の歌がわりあいあったのではないかというおぼつかない印象記憶がある。それで、たまたま手もとに一番近かった『星宿』をみると、上のようにルビをうっている。「ノート」を「ノオト」とするような感じの、その言語本来の発音に近い表記をするということが意図されているのだろう。きっと。とりあえず外来語の表記については

外来語の表記:文部科学省を出しているけれど、これをすべて読む気力がないので、リンクを張っておく。

 

話は、コーヒーにもどって、例えば「モカ」は「モカコーヒー」と表現することがあるだろうけれど、「ブルーマウンテン」や「イエメンモカマタリ」などの豆は「ブルーマウンテンコーヒー」とか「イエメンモカマタリコーヒー」などと表記しようものならそれだけで短歌の音数の半分くらいを使うことになる(それはそれで楽しいけれど)。そうなると「モカ珈琲」のように「ブルーマウンテン珈琲」「イエメンモカマタリ珈琲」などもほぼ目にする機会はないだろうと予測される。と、書きながらこれはこれで実は味わい深い表記だなともおもってしまう。(どっちだよ!)

 

ところで、ぼくの珈琲豆は「まるたつ」珈琲に定まって長い。「まる達さん」「達さん」と呼ばれる先輩がやっている焙煎屋さんで、ほんとうにおいしい。手仕事とはこういうものだという感じで焙煎の前と後でそれぞれよくない豆を一粒ずつ取り除いたり、気候や豆によって焙煎時間や温度の調整をなさったりしている。なおかつ、いやそれ以上に、環境についても深い考えや思想をお持ちで、木樵のような山での生活をなさっている(ちょっと大袈裟だけど)。その達さんには珈琲を淹れるためのグッズも紹介してもらっていて、写真のミルはもう13年くらい前に購入したものだ。手動のものももっているが、このフジロイヤルの電動ミルはほんとうにすばらしい。挽き具合が安定しているし、なにより、壊れない。飲むぞ!というときには直ぐ挽けるるし。名器とはこのこと。

 

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あした先づ飲む珈琲はくさぐさの思想より濃く胃の腑に沈む/高野公彦『淡青』1982

 

 

 

 

わかれをかさねる

 少し前に、たまたまというか、わりとよく行く道の駅に行った。何を買うというわけでもないけれど、なにか野菜があるといいなというくらいの気持で。すると、桃や梅や桜や辛夷などの束が無造作というぐらいどうでもいい感じ(どれも100円〜150円くらい)で売られていた。ぼくは、そのどうでもいいようななかから桜をえらんで、レタスのような葉物の野菜といっしょに抱いてレジで精算した。桜の蕾は固く閉じていたけれど蕾の数はとても多かった。

 鳥取は三月もやはり気温があがらない日がつづいていていたけれど、テーブルの隅においた桜はすこしずつ蕾をふくらませていった。やはり室内はあったかいものなのだ。

 昨日になってこの桜の束がほぼ満開になった。毎日おきると水をかえていたが、それ以外にはまったくなにもしていないのに桜は花を咲かせた。すごいな。

***

 人は現在の自分からのみ成り立っているのではない。(略)ひとつの地表の下にいくつもの違った地層が重なっているように重なりあっている。三十六歳のあなたは、あくまで地表であるにすぎない。ーというような比喩を使って考えたかどうかは知らないが、この本は、そのような発想に基づいて、地表の下に埋もれている過去の自分の地層を明るみに出そうとする試みである。前作『冬の日誌』では、かつての自分の身体に起きていたことを著者オースターは発掘した。そして今度はこの本で、かつての自分の心に、内面にー内面と呼ぶに相応しいものが誕生する以前までさかのぼってー何が起きていたかを思い出し、生きなおそうとしている。

柴田元幸「訳者あとがき」ポール・オースター『内面からの報告書』)

 

 

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ことは、

ひとは、

すこしまたすこしとかわってゆく。

それぞれに別れ告げ、それをかさねながら。