みずたまり

はしりながらねむれ

尾崎翠の歌

吹くな風こころ因幡(いなば)にかへる夜は山川とほき母おもふ夜は

         尾崎翠稲垣眞美編『迷へる魂』筑摩書房2004

 

 たまには短歌のことも書こうじゃないか。

 

というほどでもないのだが。鳥取では書家の柴山抱海(しばやまほうかい)さんが中心になって尾崎放哉の自由律俳句をこれぞ鳥取文壇という勢いで盛り上げている。それはまったく悪いことではなく、むしろ鳥取の文学を盛り上げるのはありがたいこと。ただ気になることもあって、ちいさな県を圧倒するシェアのローカル新聞社もその企画を県の財源でばんばんやっているみたいなことをきく。おいおい! もちろん問題なのは、それだけではなくて、尾崎放哉ばかりが唯一のようにあがめたてられてあつかわれているところ。何と言えばいいのか。もっと裾野というか多様性というか、いるんですわよ。

 

本当に信じられないのだけれど、鳥取では、杉原一司も佐竹彌生もまったく無視されている。鳥取県立図書館(公立図書館としてはとても冴えていていくつも賞をとっている)の郷土資料室(閉架)に古い『青炎』が残っていたりして佐竹彌生のことは発掘できるところもあるけれど、杉原一司にいたっては、一般的な塚本の全集や「メトード」の復刻版程度しかない。ほとほと残念なのだ。愚痴になってしまった(でも真実だ)。

 

他に、古典和歌で言えば、香川景樹が鳥取出身なのだけれどここに至ってはもはや鳥取県民のうちどれくらいの人が知っているのかしら。。。という感じだと思う。ながくなった。

 

掲出歌は尾崎翠

 

尾崎翠鳥取高等女学校(いまの鳥取西高校)を卒業したあと補習科へ行き、それから地元岩美の大岩小学校の代用教員をつとめながら雑誌に投稿する。その後、20歳をすぎてから東京に出て日本女子大学に入り、あれこれ寄稿。そのうち雑誌「新潮」に作品を寄せていたことがよろしくなかったとかで退学させられてまた鳥取に帰ってくる。「第七官界方向」とか「こほろぎ嬢」などは有名であるし、全集は何冊か出ている。ぼくの持っている筑摩の『定本尾崎翠全集(上・下)』には歌はまったくはいっていない。どうしたことか。とほほ。ということで、そこからもれたものを稲垣眞美編『迷へる魂』筑摩書房がひろってくれていて、歌も載っている。

 

因幡」と言えば鳥取市界隈(ちなみに「伯耆」は米子界隈で言葉も文化も違うわけです。おなじ鳥取県でも)のこと。となると思い出すのが以下の和歌。

たち別れ稲葉の山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む
                在原行平古今和歌集』365

 

この和歌の「稲葉」は掛詞で「稲葉」山(実在=因幡三山のひとつ)と「往なば」、またもちろん「まつ」も掛詞の典型で「松」と「待つ」など技巧が凝らしてある。何と言っても百人一首の和歌であるから、有り難いことこの上ないという気持の方も多く、鳥取市界隈の小学校ではみんな教えられるほど人口に膾炙した和歌。けれどこの和歌を解釈して味わうひとはほとんどいなくて、いや味わうほどでなくても、その意は、帰ってこいといったらすぐにでも帰りましょう!というような。なんというか京都を離れて因幡に行くことをいやがっているというか悲しんでいるというか軽んじているというか、もちろん左遷なわけだし、そんな歌。因幡がちょっとかすんでる歌。なのに!百人一首の歌ということで因幡ひとたちはありがたがっている。床の間に、ひかよろー!ってな感じで、たてまつっている。

 

この和歌にひきかえ、尾崎翠の掲出歌の因幡は存在感がある。ようやくそうそう、尾崎翠の歌。ここでは、やっぱり、「吹くな風」という初句の入りがとても切実で、なんでそうまで初句で言ってしまうかというくらいつよい。後半は対句のようにふたつならべられていて、ひとつは「こころ因幡にかへる夜」。これは単純に実家のある因幡鳥取のことを思い出している夜なんだということ。そうしてそれは漠然とした鳥取ではなくて、「山川とほき母思ふ夜は」とあるので、幼い頃に遊んだり生活の場所として身近にあった鳥取の山や川、そしてお母さんのことを思う夜と具体的になっている。もうそこまでこころが故郷にいってしまっているんだから、そのうえ、風がふいてしまったらこの私の身体も鳥取に飛んでいってしまいそうだという感じだろう。東京に出て、苦労しているのだろう。うまくいかなかったり、お金がなかったり、ひと恋しかったり。そんなふうに因幡をもとめつつ、ぐっと歯を食いしばって、踏ん張りながら文学へ向かっている感じ。そこがすごくいいんだよなあ。

 

写真は松ならぬ我が家の鉢植えオリーヴ。 白い花が咲いている。

 

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昼飲み

金曜日は土曜日の編集企画会議に備えて京都へ行った。葵祭はおわったはずだが、いつもにもまして、人が多い感じ。こんなものかなともおもうが、京都の地下鉄から多かった気がするが。いつも通りなのかもしれない。

 

京都はもう夏の陽気。麻のジャケットを脱いでTシャツであるく。

 

ホテルは河原町二条というか、地下鉄の烏丸御池から徒歩15分くらいのところにある小さなでもちゃんとしたホテルドルフ。

 

なぜかよくわからないのだが、料金がとてもやすく、さらにフロントで広い部屋にランクアップされる。とことん有難いことがつづく。(ちなみに定宿にしたいくらいなので今後の日程を楽天トラベルで検索したが、この日は幸運そのものだったようで、ぼくが泊まる安宿とは違っていた)。部屋もとても新しくて落ち着いていて清潔感がある。(翌朝はトーストとサラダとオレンジジュースとゴーヒーの朝食もついていた)。何かが当たったとしか思えない幸運。ロンドン便でビジネクラスにランクアップしていらいの幸運とでもいえようか。

 

とはいえ、まだ、3時を回ったところ、地下鉄烏丸御池で友人と落ち合って、ネットで見つけていた早くからやっているバーへいってみる。ちいさなところ。まずはじめてのバーでいただくぼくのルーティンのジントニックをおねがいする。とりださたジンはロンドンヒル。ほほー!でもって、ひとつひとつの所作もテキパキ。くっきりすっきりの(量は少なめ)この日の暑さにぴったり。つぎは、ソルクバーノ、カイピリーニャ、チェイサーのビールそしてスコッチリダーのハイボールといただく。ぼくはまだのみたいのでのみつづけるが、友人は別の集いへ。みんな大変なんだな。すいません。

 

それから、店を出てそばにある居酒屋へ行くと、玉川の山廃がありいくつかの肴とともにいただく。もはや、上機嫌。

 

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リラックマの器

ぼくのともだちに、マイレージ=マイライフを地でいくひとがいる。一緒に飲んだり食べたりすると、ここはまずぼくが払いますといってカードで支払ってマイルをためていく(あとでわりかん)。彼はもともと飛行機や空港が異常なくらい好きなので、飛行機にもやたらと乗る。そんなこんなでため込んでは飛んでいる。

 

ぼくの近くにやはりポイントをためるのが好きなひとがいる。それで、先日、リラックマの器をくださった。ふたつも!こういうポイントをためるために?毎日LAWSONでパンをかっては食べているのだそうだ(ちなみにこの方もマイルを貯めて飛ぶひとなのだそうで、支払いはすべてカードなのだそうだ。リラックマのシールとマイルをダブルで獲得している!とのこと)。景品そのものにはほぼ興味がないのだけれど、とにかく貯めて、交換するのが心地よいのだと。そしてその上で、それを誰かにあげてよろこぶ姿をみるのがうれしいのだと。は、はあー、頭が高い。ではないが、まさに器の違いをみせつけられる気がする。というか、ポイントをためることへの執念とそれを交換したうえで他者へ贈与するという一連のプロセスは、モース、レヴィ・ストロースバタイユの系譜ではあるまいか、などと、くだらないことをおもうほどに、ただただ感心してしまう。

 

集めるとか貯めるという行為が、ぼくは、ほとほと苦手で、いや、ほとんど習慣にない。だから、ぼくにとって、この景品は新大陸の発見のようにワンダフルなものなのだ。(特にリラックマに限らず)。感謝。感謝。

 

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さつき

店のおばちゃん(といってもぼくよりは若いかもしれない)に、おいくつですかと聞かれた。

 

年齢を聞かれるというのは、2005年にウィスコンシンにいたときがもっとも多かった気がする。気がするというのは、もちろんぼくもいまより12歳くらい若かったのだから確かに若いのだけど。やはりというべきか、日本人(アジア人)は若くみられるという、一般的によく言われていることにぴたっとあてはまる反応が多かったからだ。ビールを飲みに行ってI.D.を見せろといわれたり、歳を尋ねられたりしたこともあったくらいだった。

 

それから、日本に帰ってきた後も、初めて行く美容院や初めて会うひとに、その後意識しすぎなのか、若くみられることが多いのではないかと(気がする程度だか)おもうようになった。

 

それが特に近年多くなった。若い!というリアクションが。といって、これは、ぼくに限ってのことではないのではないか。ワカモノが子どもっぽいとかおさないとか、美魔女とか、耳にする。高度経済成長期のころより、きっと、ぜんたいてきに、年齢に比して若く見えるというか年齢と見た目のなんとなくのメジャーがずれてきたのではないかとおもう。

 

5月になったこととは、まったく、関係ないのだけれど。ズレたメジャーをおもうのである。

 

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出町柳の小径に

 京都産業大学神山ホールでの平田オリザさんの講演と永田和宏さんとの対談をきき終えたあと、バスで出町柳駅まで塔のなかまと帰り着く。そこからとりあえず晩ごはんのお店をなんの手がかりもないまま、あてどなく、こっちにありそうという嗅覚で、小径に入る。いや、入る直前に自然派な感じのお店があって入ったのだが、あと30分で閉店ですと言われるままにその店をあきらめ、その先の小径へと曲がり入った。

 

 果たして。「かぜのね」というただならぬ雰囲気とでも言おうか、ぼくの嗅覚にすっとくる素敵な感じのお店があらわれた。いざ行かん!ということで入る。がらがらと古い駄菓子屋の玄関のような戸をあけると、入って左手に小さなカウンターある。そこには常連さんと思われるひとが2、3人座っている。ちらりとそのひとたちにぼくたち4人は品定めのように見られる(完全なるアウェー感!)。カウンターの背後にあたる店の真ん中には食堂のテーブルのようなテーブルと椅子5脚くらいがあって、その奥に座敷というか畳のスペースがあり4人ようの机とふたりようのそれがあり、そこに4人で座る。自然な感じの健康的な料理ばかりで7品くらい注文。黒板には純米酒が8種類くらい書いてあった。4人のうち2人はほぼノンアルコールであったがぼくともうりとりは2人でどんどん飲んじゃう。ノンアルコールのふたりはご飯と筍のスープを最後には注文し、まさに、ヘルシーなる夜ごはんとはこのこと。

 

 写真は高瀬川沿いのハナミズキ。「かぜのね」では写真を撮ることさえわすれてしゃべって飲んでいたのだった。

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5C

高速バスに乗ることもたまにある。

京都や大阪へはほとんどの場合、スーパーはくとを使うのだけど、時間の都合や価格の問題で、日本交通の高速バスに今日は乗った。

 

連休前だからと警戒して早めに席を予約してチケットを購入していた。

 

席の予約のときのこと。電話オペレーターのお姉さんが、いまなら1人がけの席は全て空いていますよといってくれた。ぼくは特にこだわりがなかったので、1人がけの席ならどこでもよいので、とお任せした。実際、買いに行くと5Cという席であった。

 

さて、本日乗ろうしたところ、バスの車種がかわって、5Cはトイレになりました。といって予約の入っている座席表を運転手さんが見せてくれた。たしかにトイレ。で、2人席はがらがらに空いていますので、どこでも好きなところにお座りくださいとのこと。しかして、ただいまとなりの席に鞄を置いてゆったりと座っている。

 

写真は道の駅かわはらのそばのバス停からみた霊石山(れいせきざん)。2コマやっつけてから急いでバスに乗ったのだった。

 

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シバザクラ

桜がちりはじめた鳥取

むかし、シバザクラを嫌いだというひとがいた。どうしてきらいなのかという理由をきいたのか、きかなかったのか、それさえも覚えていないくらい、とにかく嫌いということが印象にのこっている。シバザクラ。それほど嫌われる類のものではないのではないかと、ぼくはおもうのだが。いま鳥取シバザクラはどこも花の盛りを迎えている。

 

ときおり、器が小さいとじぶんのこと(ひとのことも)をおもうことがある。大概そういうふうにおもうのは、名誉や地位や評価やお金が、直接には自分にからんでいないのに、あたかも自分に直接にかかわることのように思ったりしたときだ。

 

器自体のサイズをかえることはできないから、いますでに器をみたしたいて、しかも、大切そうに思えるものを器の外に出せば、器の容量に余裕がうまれると考える方法が、先日の朝日新聞の「折々のことば」に載っていた。なるほどそうか!と思う。思う一方で、短歌のことをふとかんがえた。

 

短歌をやっていて、いつまでを初学者というのかは、わからないが、まあともかく、自分がまだ今以上に初学者だったことろに、よく詰め込みすぎとか説明しすぎと評された。たしかに、それはそのとおりで、いまでもそれらを妥当だとおもうし反論するところではない。でも、そのときは、短歌の定型になんとかして盛り込みたい言葉がありわ、なんとかしてこんなふうにこの短歌という詩型のなかでなにごとかうごかしたいとおもうところがあったのだ。別の角度から言えば、歌としてのよしあしの見定めなんてないのだから、こんだけのおもいをのせるぞ、と思っていることをコントロールするなどと発想することはではないのだった。

 

それなら、いまはどうか、と、考えて見みると。その頃に比べれば、短歌の詩型という器をもう少し俯瞰的に見ることができているのではないかしら(もちろんそれとて自己内の相対的ものであるが)とおもう。が、賞とも無縁のままであるし、烏瞰的にといっても仙人の域にはとうてい至っていない。

 

具体物としての器の話題にかえってみると、器の容量はかわらないから中身を捨てなさいというのは、器の容量をわかっているひとができることだ。つまりは、はじめから器の容量や特性を知っているならば捨てることも残すことできちゃうというわけだ。だから、繰り返しになるけれど、そんなことを為せるのは器を手に持てたり、器を高いところから見ることができたり、使いたいときにつかうことができたりする立場になければ叶わない。器もんだい。

 

じぶんのことにまたあらためてこの発想を照り返してみると、どうだ。じぶんのことや特性がそれなりにわかってないと、器をからにしたり、中身を整理したりはできない。つまるところ、じぶんのことを理解するという甚だ難しく困難をきわめる作業をしつづていくのが人生ということか。それなら、まあこれは捨ててもよかろうとか、価値観を大転換しないと器が、じぶんがつぶれる、と察知することができる段階とは、それなりの修練や経験や年齢を重ねた相当に仙人の域に達している場合となろう。仙人かー。

 

だから、当面そういうことがわからない段階においては、つまり仙人には至らない段階にあっては、じぶんの器に何がのりやすいのか、どれくらいのせられるのか、そんなことをやってみるのを繰り返し繰り返しやる以外にはないのではなかろうか。

 

仙人にならないと、器のサイズはかわらなちから、捨てて良いものも捨てちゃいけないものも判断しにくい状況に、いつもぼく(たち)はいる。まあ逆にいえば、判断基準がわかっていることが仙人の域に至るということになる。

 

とはいえ、仙人には至らなくとも、器の容量はかわらなくても、あれこれやってみると、載せるものの質がかわったり、器の形がわかったりして、のせやすくいれやすく、あるいは、はじきやすくなっていく段階がくるのではないかなとおもうのだ。これは、短歌の定型や口語へのとりくみと同じアナロジーで。

 

大きくて美しい民藝のうつわなどにちょこんと美味しいものがのっかっている図を夢想しながら、ぼくはぼくに、あるいは短歌という詩型に異物をのせようとすることをやめないようにしたいとおもう。仙人じゃないんだし、いや、仙人にはなれそうもないのだから。そんな器ではないのだから。

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