みずたまり

はしりながらねむれ

二条為世「心は新しきをもとむべき事」

二条為世の歌論書『和歌庭訓(わかていきん)』1326は藤原定家の『近体秀歌』などに比べて歌論の新鮮さが無いと言われるそうだ。当たり前のことだけれど納得させられるところもある。「<心は新しきをもとむべき事歌の心(風情・情趣)は新しいものを求めるのがよいということ> このことは古人の教ふるところ、さらに師の仰せにたがわず。ただし、新しき心いかにも出で来がたし新しい歌の心というのはめったにうまれない。世々の撰集、世々の歌仙、詠み残せる風情あるべからず詠み残している風情(歌の心)はないだろう。されども、人の面のごとくに、目は二つ横さまに、鼻は一つ縦さまなり。昔より変わることなけれども、しかもまた同じ顔にあらず。されば、歌もかくのごとし。花を白雲にまがへ花を白雲に見間違えるように詠んだり、木の葉を時雨れにあやまつことは木の葉の散る音を時雨が降る音と聞き違えて詠むようなことは、もとより顔のごとくに変わらねども、さすがおのれおのれとある所あればそうはいっても人それぞれ特徴があるので、作者の得分となるなりそれが作者のオリジナリティになるのだ。新しきをもとむとて、さま悪しく卑しげなることどもをもとめ詠むこと、あるべからず。(中略)大方は、古人もかかることは知らぬにて侍らじかし。しかれども、見苦しきことなどは捨てて詠み侍らぬを、めづらしきことの残りたるとて、もとめ出だし詠まれ侍るは、口伝無きが致すところにこそ侍らめ師匠から和歌の指導を受けていないからである。(中略)歌の弱きとはいかに心得べきにか。心深く詞よろしく姿美しく侍るを、強き歌とは申すべし。万葉集の耳遠きことば、凡俗の心を詠めるこそ、弱き歌とは思ひ侍れ」。自分のオリジナリティを求めつつ醜い逸脱にならないように歌づくりを求めていかねばならないなぁ。 記して心にとどめておくことにする。