みずたまり

はしりながらねむれ

こんな感じ

my room @ southern door hs月曜日がはじまった。金曜から3連休だったぼくにとっては、日本でそうだったようにブルーな月曜日だ。授業は3コマ。ぼくは毎日ジョージの運転で学校へ来る。最近は寒くなってきたのでさすがにジョージもクラシックカーをやめて、ふつうのフォードの車(フォーカスかな?)である。学校に着くと、ガイダンス室の一角にぼくの机がある。ガイダンス室というのは日本で言うと進路指導室のようなものだ。こちらの高校の先生はいわば予備校の先生のように教科だけを担当している。問題行動や進路指導は別のスタッフが担当することになっている。ガイダンス室には進路指導やスカラーシップについてのスタッフ(教員ではない)が3名常駐している。小部屋が4つ。その小部屋の中でもっとも小さい一つ(プリンター設置場所兼物置?)を現在はぼくが独占している。居場所があるだけでありがたいと心底思っている。ネットも繋がっているし、プリンテーも使える。プリンターは写真にうつっているものではなく、別部屋のパソコンのものを使用する。パソコンもやはり先生ではなく専門のSEが2人いる。彼らは本当にプロ中のプロ職人といったふうで、ぼくがここに来て日本語をプリントアウトしたいとういとちゃっちゃと設定してくれた。office2000の言語の追加?か何かをやってくれた。使えるフォントに限りはあるけれど贅沢は言うつもりはない。とてもありがたいことだ。教室でのプレゼンにはプロジェクターを使用している。可動式のものが一つある。これでちょっとしたプレゼンをすることもできる。ちなみに、プロジェクターをつけているときに、ワードで日本語の入力や変換を見せると、COOL!!という声が必ずあがる。そして、ぼくのパソコンは英語も日本語もどちらも使えるのかと聞いてくる。もちろんどちらも使えると答えると、COOL!とまた答える。彼らのCOOL!というのはこの場合は「すごい!」ってな感じだろうか。蛇足だが、COOLは本当によく使われている。なんでもかんでもやたらとcoolだ。よく使われているといえば、OHP。小中高のどのクラスにも必ずあって、よく使われている。黒板に書くというよりも、OHPのシートを黒板代わりに使って授業をすすめている教員もすくなくない。生徒たちはまっくらな中それを見てノートをとっている。ぼくにとっては信じがたい光景だ。信じがたいといえば、今日のクラス。ワーキングスペースというところでの授業。職業についての授業をしているようだったが、よくわからないまま日本の高校を紹介するパワーポイントを見せて、説明した。これは他のクラスでは結構関心を持ってくれるものなのだが、このクラスではまったくダメ。生徒もやる気なさそう。だれている。でもって、質問も「生徒はどうやって学校にかよっているのだ?水泳?馬?サル?」なんだこいつは!彼は続けざまにばかばかしいことや卑猥なことばの日本語訳を求めてきた。先生もコントロール能力がまったくない。なさけなや。まわりの生徒があんたいいかげんにしぃや!(=推測)ってな感じでどなるしまつ。まぁ、これもよい経験とおもいつつ、次のクラスへいく。「AP Literature andComposition」というクラス。APというのはadvanced placementということらしい。君たちはAPクラスだから優秀なんだろう?って最初に聞いたら、みんなにやにやしていた。けれどやはりさすがに、学習意欲や関心はずいぶんと高い。さっきのクラスと大違いだ。ぼくは、村上春樹の『像の消滅』という短編アンソロジーの日本語版と英語版をもってきていたのでそのなかで一番短いもの(英語版)をみんなにあげた(冒頭部だけは日本語版も)。冒頭部の少しを日本語で朗読して聞かせてみた。生徒たちにとってはどんなsoundとして耳に入ったのだろうか。「このページは右から左に読むのか?」という質問もあった。vertical writingの時はそうだよっていうと生徒一同深くうなずいていた。これはあくまでぼくの感触であるが、verticalなのかhorizontalなのかよりも、ページをめくる方向の違いの方が彼らには衝撃的なようだ。あとは、日本の現代文学のちょっとしたイントロを行ったつもり。最後にしめとして《英語で書かれたものでも日本語で書かれたものでも質の高い文学はぼくたちに何事かもたらすという点では同じだ》(←英訳求む!コメント欄へ!)というようなことをいったつもりなんだけど、伝わったかなぁ。どうも伝わってないなぁ、あれは。授業最後の質問はこうだった。「日本の生徒は文学が好きなのか?」。ぼくは「ノー」と答え、ゲームや恋愛やスポーツや音楽や映画の方が好きだと答えた。アメリカでも日本でも大差はないのである。