Education-Multicultural and Socially Reconstructionist
中間点のご褒美としてのシカゴ3日が終わり、マディソンに帰るとまたプログラムがあわただしくすすむ。今日は久しぶりのルース先生のESLがあった。みん
な英語力があがっているとのこと。ほんとかなぁ。ぼくはこの後もマディソンにいるので、一度あって議論しましょうとのこと。ありがたい。その後は、UWマ
ディソンのキャンパス内の一室で、多文化主義教育についてのセミナーと議論。博士課程の方6人くらいが参加してくださった。ぼくとしてはじぶんの方向性が
確認できる機会となった。はじめに講義をしてくれたアンソニーさんと小グループで一緒であったのもぼくにとってはラッキーだった。多文化主義教育の核は、
文化(社会的歴史的な所産としてのもの;人種、ジェンダー、言語、宗教、性差、階級、思想、…)的な差異がうまれてきたプロセスを考えること。差異がある
と見ているその思考はどこからきたのか、それ自体を考えること。このアプローチを通して差異そのものではなく社会を構造的に理解し、社会を変えていくスキル
を身につけること。自分の生活を分析し、共同的に社会を再構築していく力をつけることと言えるだろう。アンソニーさんの言っていることは決して新しい枠組みではないとは思
うがとてもわかりやすく、示唆に富んでいた。後で、博士課程で同じように多文化主義教育を研究しているという日本人の高山さんともお話しすることができ
た。彼との議論では「声」「語り」ということが出てきた。バフチンやワーチはやはりこちらでも基本文献として重要だそうだ。誰の声がかき消されているの
か、誰が語っているのか。社会やコミニュティや学校や教室が多声的であるかどうかmulticultural
educationを考えるおおきな一歩なのだと高山さんとの議論で確認できた。