みずたまり

はしりながらねむれ

たまにはみずたまり

ウィスコンシンに来て何度目の日曜日だろうか。本日はゆっくりゆったりである。だから短歌の時間をつくった。こちらに来てからの短歌生活はもうこれは日本にいるときにもましてさっぱりであった。先月の例会に提出した 短歌+残骸、今月の例会へ提出した4首+残骸。何気ないことを詠めばよいのだが、あまりにも新しいことが多すぎて、言葉を考えることがついて行かないとい う感じかも。というのは言い訳にすぎないなぁ。選と極選の編集を終えて、全員に配信。みずたまりあんのぼくはウィスコンシン、それにこの前からユウコさん がオーストラリア。インターナショナルである。あ、インターナショナルという言葉を日本では聞く機会が減ったな、そう言えば。グローバルとかワールドワイ ドにとってかわられたのか(ボーダレスということばもあまり聞かなくなった、ワイヤレスはよく聞くけど)。そういうことはともかく、みずたまりは diversityであるのが大変よろしい。国ということではなくて、趣味も、生き方も、感じ方も、短歌の傾向も。そんなみずたまりが今月の例会(日本時 間の23日午後3時~)で50回を迎える。感慨深い。創設期のことを思い出す。いろんあことがあってみずたまりができた。それから池本先生がずっとつき あってくださていることも忘れてはいけない。みずたまりあんなくしてみずたまりなし。池本先生なくしてみずたまりあんなし。50回の例会が盛会であります ように。