みずたまり

はしりながらねむれ

これであなたも北京博士

天安門広場オリンピック近し深夜バスで難波に到着し、そこから南海で関空へ。午前7時頃関空到着。はるばるきたぜ関空ってな感じ。ちょっとぶらついて8時前に近畿日本ツーリストのカウンターで航空券などをもらう。今回は「これであなたも北京博士」という妙なタイトルのツアー。最少最高人数が2人から。飛行機運賃+ホテル2泊+食事+現地のすべての料金=49000円である。厳冬の北京はオフシーズンだからだろう。とにかく、安いのがよい。トリノオリンピックの女子フィギアスケートの日。どうやら荒川さんが金メダルをとったようだ。関空内のテレビはひとだかり。イナバウアーがどうなったのか興味津々でぼくもテレビをみる。美しい演技だった。
 飛行機はANA。Air Chinaとのコードシャア便であった。満席。チェックインが込んでいる。お年を召した方の団体がいっぱい。まさか、この方たちは「北京博士」ではないよなぁとチェックをすると、バッヂが近ツーではないみたい。さっさと出国し、つれあいは免税店で若干のお買い物。ぼくはぶらぶら。
 予定通り、午前10時に離陸。北京とは時差マイナス1時間。実際には約3時間半のフライトだが、北京に着いたのは現地時間の12時半くらい。機内食はJALやNWAの方が美味しいかな。でも、モルツをいただいてお腹はぱんぱん。出国すると「北京博士」の看板を持ったガイドさんがまっていてくれた。単さん25才。首都師範大学日本語科出身のエリートである。日本語はかなりのもの。他に、松山東高校3年生の女子が2名。この2名と2泊3日をともにするようだ。高校生にしては落ち着いている若人でよかった。車に乗ってさっそく「北京博士」への道スタート。まずは①天安門広場へ。広い。1919年5月4日の対華21箇条要求への抗議デモ、1986年6月4日の学生たちの民主化要求デモ。この広さがデモ当時の人の熱気を想像させる。特に、86年のデモの時にはここに戦車が入ってきたのだなぁと思うとただいまの静けさが逆に怖い。厳戒態勢で管理される人民英雄記念碑、五星紅旗掲揚台、毛主席記念堂のものものしさも印象に残っている。それとは対照的に人民大会堂の前には北京オリンピックのカウントダウン。北京はこのようなアンビバレンツ具合が特徴と言えるのかもしれない。単さん曰く、観光シーズン中の団体旅行ならここは写真を撮ってはい次へですよと。広場を横切って、故宮博物院紫禁城へ。
 入り口である「午門」でガイドの単さんが切符を購入して入れてくれた。このツアーを通して言えることだが、入場券や切符がいくらかかったのかさっぱりわからない。単さんは、チケットは会社に持って帰らなければならないというからくれな故宮博物院い。それに、正規の売り場で購入しているようにも思えなかった。飛び交っている中国語はさっぱりわからないし、これはガイドなしではまったく動けない街だなぁと思いながら、午門をくぐる。金水橋、太和門、太和殿、中和殿、保和殿、乾清宮、交泰殿、坤寧宮、御花園とすぎて神武門までやく1㌔くらいを2時間くらいで見て回る。単さんの丁寧な解説もあり、寒いながらも紫禁城を満喫。太和門の奥にひろがる広場はまさにラストエンペラーで幼き溥儀がはしりまわっていたところ。いまテレビでやっている「西遊記」のロケをした倉吉の燕趙園はこれの模倣だとわかる。北京オリンピックに向けてか、あちこちで工事がなされていた。
 それから、車に乗って②「中国雑伎団」へ。北京にある中国雑伎団は中国全土にあるいくつかの雑伎団の中でもトップとのこと。外国人も多いが、中国人も多い。吉本新喜劇みたいな会場の雰囲気。ポップコーンを食べている人がやけに多い。それにしてもあの技の数々は驚嘆驚愕の連続。最後は12人くらいが一台の自転車に乗るという妙技で締めくくった。あわわわわ。
 夕飯は③「全聚徳」へ。ここは北京でも有名な北京ダックのお店。その天安門に近い店へ行く。初の北京ダック。油が甘い!その他の中華料理もすばらしい!ビールは大瓶1本10元(1元=15円くらい)。つれあいと2本いただく。満腹。
 ホテルは、北京駅のとなりの地下鉄「崇文門」そばの「ノボテル新僑飯店」。きれいなホテルで安心!さすが☆☆☆☆。ちょっと疲れていたが、せっかくなのでホテル近辺をぶらぶら歩く。すぐそばに大きなデパートがあった。異国でのスーパーやデパートは本当にたのしい。「北京博士」への道はつづく。