みずたまり

はしりながらねむれ

別れ過ぎる

 送別会がありました。別れるということには慣れはありません。もちろんそれはそれぞれの関係がそれぞれだから同一の別れを繰り返しているのではないからでしょうが。それにしても別れの場面ではいろいろと思い出します。別れの宴で誰かが挨拶しているときに平家物語の「忠度都落」の別れを想起いたしました。もっとまじめに別れのことばを聞くべきなのに、頭は勝手に逃避しておりました。俊成が堂々とした人物として描かれていない延慶本や長門本が広まらなかった原因を専門的には知りませんが、昔の人も別れに慣れていなかったのではないか、だからこそ別れを劇的にしたものが広まったのではないかなどと思案しておりましたら、乾杯!飲酒。脈絡無く奥村晃作さんの《真面目過ぎる「過ぎる」部分が駄目ならむ真面目自体(そのもの)はそれで佳しとして》の真面目を別れにしてみましたが、やはりおもしろくありません。別れにはやはり馴れません。