みずたまり

はしりながらねむれ

marital spats

春は忙しい。春でなくてもいっぱいいっぱいなのに、春はさらにいっぱいいっぱい。余白なし。余裕なし。仕事からいったん帰って夕食作り中に家庭争議勃発。逃げるように職場へ復帰。残務処理。というか、ものすごい量。あーあ。8時半頃多摩さんからおさそいの電話があるが、今回はパス。とほほ。それから10時半過ぎまで仕事。仕事。仕事。帰って湯船へ直行。『短歌研究』1月号はもう捨ててもよかろうと思い、湯船へ持ち込む。一度目を通していたが、エッセイは読んでいなかった。関川夏央寺山修司と『小市民』のドラマ」では、寺山修司山田太一のことがある。1983年1月から3月末まで放映された(フジテレビ)「青春スケッチブック」が話題になっていた。そのなかでの山崎努のせりふ。「高校生だから酒をのみません、女房がいるから他の女とは寝ません、立小便はしません、満員電車で屁はたれません。そんなことは、みんな、くだらないことだ。守る値打ちはねえ。しかしな、そういう、小っちゃなことで、自分を押さえる訓練をしておくことは、絶対に必要だ。そういう訓練をしなかった奴は、肝心な時にも自分をおさえることが出来ねえ」「生きるってことは自分の中の、死んでいくものを、くいとめるってこったよ。気を許しゃあ、すぐ魂も死んで行く。筋肉はほろんで行く。脳髄もおとろえる。なにかを感じる力、人の不幸に涙を流す、なんてェ能力もおとろえちまう。それを、あの手この手をつかって、くいとめることよ。それが生きるってことよ」。格好いいような、でもちょっと説教めいてもいる。鈍化しているのか。ゆとりがないからか。気を許しているからか。あーあ。