みずたまり

はしりながらねむれ

みずたまり第54回例会

第54回例会は鳥取県民文化会館の和室にて開催。本来は5月下旬の開催予定であったが、諸般の都合でここに流れ着いた。池本先生を含めて参加者は9名。今回もバラエティーに富んだ歌が揃った。いつもの通り、池本先生の3選。
 ◎ 手放せるものはしっかり捨てていくサリサリはさみが入る前髪 《ユウコ》
 ○ 超音波写真に手にして身を起こす 「彼女」の鼻は夫似らしい 《いの》
 ○ 藤花の滴り落ちる紫はオケアノスから今朝汲み取らる 《あらくれにほんかい》
 「手放せる」の歌。この歌にはみずたまりあん3名の選が入っていた。互選一位でもある。人は何か捨てるということはとても苦手であり、せめて前髪くらいを少し捨てること位しかできないものである。そこのところがうまく表現できているとの池本先生評。「しっかり」→「ともあれ」「ひとまず」などに可変。「捨てていく」→「捨てようか」、「サリサリ」→「シャリシャリ」などとの比較を。みずたまりあんからは「サリサリ」がよいとの声。
 「超音波写真」の歌産婦人科での一こま。池本先生は自分たちの子どもを「彼女」としているところが妙を通り越してとてもおもしろいと。「写真」→「映像」、「手にして」→「を見つつ」、「らしい」→「ようだ」「みたい」に。それから「鼻」は言い過ぎがと。議論が盛り上がり、人間関係を整理しつつ理解が深まった歌だった。
 「藤花の」の歌。表現意識がまずある歌と先生。「藤花」→「山藤」などに変更可能か。「オケアノス」がわからなくてもなにかおおきなものということは理解可能であり、それは「汲み取る」にかかるからであると。わかりにくいとの声もあり。
 今回の先生のコメントを聞いていて感じたのは、言葉のもつ領域(属性?)を考えること。たとえば、「水色のカーテン」と「水色のうすいカーテン」の差異は何か。「水色」という言葉がもつ属性に透明感のようなものがあるので「うすい」は不要となるのではないか。「シートに深く沈みゆく」と「シートに沈む」の差異。「深く」も「ゆく」も不要なのではないか。慎重に吟味する必要がある。なるほどそうだ。
 歌のリアリティを議論すること、解釈を重ねていくこと、表現を吟味すること。ひさしぶりのみずたまりに刺激とあたたかさを感じた例会だった。