みずたまり

はしりながらねむれ

母の日

 小学生の頃の話。ぼくの小学校は音楽の文部省(当時)の研究指定みたいのを受けていて、ものすごい勢いで音楽ばかりやっていた。いろいろやったのだけれど、ほとんどおぼえていないなか、学年音楽というのはおぼえている。物語の展開にそって音楽の演奏や合唱をするというもの(踊りはない)で、学年毎にそれぞれの物語を一年かけて練習し発表会を開いた(後に知ったことだが、いま兵庫教育大学の学長をしている梶田叡一が当時見にいらしたようで、彼はぼくたちの学年音楽についてのことを教育関係の雑誌に書いている)。
 5年生のとき、「お母さんの木」という物語に取り組んだ。誰が書いた作品なのかも本当の作品タイトルも知らないのだが、強烈に心に残っている。第2次世界大戦中のこと。ある母親には7人の男の子がいた。一番上の一郎から順に二郎・三郎…七郎とつぎつぎと徴兵されていく。(確か)息子たちが徴兵されるたびに母は桐の木を植えていく。時が経ち、一郎、二郎…と戦死したという報せをうけてはその桐の木の葉を抱きしめ悲しむ母。最後に、(確か)五郎だけが生きて還ってきた。だが、そのとき母は還らぬ五郎の桐の葉を抱いたまま息を引き取っていた。というような内容だった。こんなことを母の日の本日思い出していたら、これまで気にもとめなかったことにふとつまずいた。それはなぜ母は桐の木を植えたのか、ということ。なぜ松や梅や桜や杉や…ではなく桐だったのか。死者の棺を作るためか。いや戦死することを予感していたのか。いや、予感があるのならば遺体が還ってこないことは了解済みだろうから棺など思うまい。なぜ桐だったのだろうか。
 本日は母の日。いつも感謝しております。