みずたまり

はしりながらねむれ

ひとのふんどしで

出典というのはとても重要だ。じぶんの考えが借り物なのか、誰かの影響をうけたのか、それともオリジナルなのか。かりるのならかりる作法がある。影響を受けたならそれなりの作法がある。ずいぶん出遅れたけど、今日。ウィトゲンシュタインの後期(過渡期?)の幕開けをつげる『青色本』を不作法に使用している文章(歌関係)をよんだ。思索はそのひとが命がけで生きた跡であるといえば大袈裟かもしれないが、それにしてもあんなことはちょっとゆるされないだろう。いいのかな?