みずたまり

はしりながらねむれ

雪のち夕暮れ

写真 (34)3月だというのに、雪がふった。出勤しようと家をでると、わが家の界隈では道は白くなっていないが、屋根や屋外にある車は雪に覆われていた。と、いっても真冬の感じはなく、陽があたるとすぐ溶けていく。お昼をすぎて、いくつかの会議がおわったころ、夕暮れの日本海をみたくなって、仕事を切り上げて行った。
運転しながら、カズオ・イシグロの『遠い山なみの光』の長崎の夕暮れのなにげない記述を思い出した。
「日本の都会では、イギリス以上に、レストランでも、喫茶店でも、一般の商店でも、一刻も早く暗くなるのを待っているらしい。まだ陽射しも満足にかげらないうちからウィンドーには明かりがともり、軒にはネオンがつく。その日も、わたしたちが夕方市街に戻ってきたころには、長崎はすでに色とりどりの夜の光にあふれていた。p.168」
夕暮れの日本海をみたあと、中島みゆきの「真夜中の動物園」をかりにIさんのところへ行った。Iさんは外に出てぼくの到着をまってくれていた。会うときはいつも笑顔のIさん。その中島みゆきのアルバムのなかに「まるで高速電車のようにあたしたちは擦れ違う」という歌がある。その最後の部分。
「走ることも 停まることも 寒いことも 暑いことも 飾ることも 脱ぐことも 憧れも 共感も /あたしたちは あたしたちは あたしたちは あたしたちは /自由っていう名前の中 何か影を嗅ぎ取ってる」
時間があったのでさらに谷本酒店によって大山Gビールのスタウトを購入した。いや、スタウトを選んだわけではなくて、大山Gビールはこのスタウトしかなかったのだ。