みずたまり

はしりながらねむれ

紺青

山崎12年あけたて昨日は久しぶりに日本海を見た。久しぶりといっても一週間ぶりくらい。朝の青もよいが、4時頃、倉吉からの帰りの日本海の紺青はどうしようもなく美しかった。

時が経てば忘れることもあるし、ふっとなんでこんなことを思い出しちゃったんだということもある。

昔は、いや子どもの頃は神社の境内でよくあそんでいた。神社といっても神主さんが常駐している立派なものではなくて、村の神社(ぼくたちは「御宮おみや」と呼んでいた)である。その境内ではビー玉をやったり、△ベースのようなことをやったり、いろいろあそんだ。缶蹴りもした。その境内の広いところではなくて本殿(というほどでもないが)の下に潜り込むことがよくあった。正確に言うと、小さな神社であったが、造りはそれでも神社であったから、高床式みたいになっていた。その下にもぐっていたのだ。そこにはウスバカゲロウの幼虫である蟻地獄がいてそれを掘り出したり、それを観察?したりしていた。むろん、それは本殿の床下といっても光の届くところであった。実は、光のとどかない床下にも入ることができた。できたのだが、ある一定のところまでいくとぼくらはみなそこまでしか行かなかった。床下には大きな石がころがっていたり、鉄板のようなものがあったりした。その鉄板のようなものの向こうへはいかなかった。その先には猫が、猫の死体があると言われていたからだった。こんなことを九号線をはしりながらおもいだした。イワオくん、ヒロトくん、どうしているんだろうか。

家にビールがないというのは不覚というか常識はずれというか、とほほである。今夜は山崎12年である。新しいボトルをいまあけた。それなのに、大きい氷がない。なんということか。酒に対する敬意が足りない。まだまだ修行不足。