みずたまり

はしりながらねむれ

櫛羅(くじら)

写真 (76)東北の地震から10ヶ月。今日の鳥取は午後から冷え込んできた。あの日の午後のことを思い出しながら、彼の地で、たとえば仮設住宅にいらっしゃる方々をおもった。寒いというだけではないのだろうが、寒いであろう。ニュースで3000人をこえる行方不明のかたをさがしているひとたちのことを見た。なさけないが、こういうことも想像の範囲から遠のいてしまっていた。

そうこうしていると、件の今井書店のYさんが岩波の「図書」2月号をもってきてくださる。はじめのペイジには栗木京子さんが、東北の若人の歌について書いていらっしゃる。歌に即しながらの栗木さんのことばが、実に率直で飾っていなくて、妙にぐっときた。あのときもおもったのだが、ぼくが本来いるべき現場にいたならどうやって若人とすごしているであろうか。

奈良にいる若人が年末年始に鳥取にかえってきていて、お土産をいただいた。いい酒なのに、はずかしながら、ぼくは初めて飲む酒である。「櫛羅」は奈良県御所市にある千代酒造の純米吟醸。ひとくち。辛口にちがいないが、なんともやわらかい。辛口といっても、どちらかといえば辛口という感じ。それでもって、辛口でやわらかいというのはおかしな表現かもしれない。過日ぼくが絶賛した一年間低温貯蔵された(熟成した)太田酒造の酒を、辛いといってそれだけをいうひとがいた。まことに残念におもった。酒は嗜好品であり、好みにはいろいろあってよいのではあるが、辛いといってきれすぎるとうばあいとやわらかく口にあたるものとがある。そのあたりを一刀両断するのはもったいない。いうなれば、辛くてなにが悪い、甘くて何がわるい。よくないというのは口にのこるべたつきである。すーっととおるかどおか。そこが大切なのだ、酒というのは。おっと寄り道がすぎた。櫛羅もやはり一年熟成しているようで、そのあたりのやわらかさひろがる。いや、ひろがるといよりは鼻にすぐさますーっとぬけていく吟香がとてもさわやかですばらしい。精米しすぎて=搗きすぎて雑味をなくして純度を高くすることが、かえって逆に、かーんとあるいはむせるようなきつい香になることがある。はたしてこの酒はその感じがまったくない。にもかかわらず、ラベルには精米歩合50%すなわち五割搗いているというのだから不思議。水がよいのだろうか。そしてそして最後に口にのこる返し。ぼくからするともうちょっとフルーティーなものがひろがってもよいように感じた。甘みはあるのだが。ひろがるわぁ~っという感じがほしい。これはまた、ビールのときにも感じることだが、飲み干したあとのいわゆる返しというかひろがり。そこがすっとみずをうたれたように何もないというのがひとついいということである。だが、もういっぽいってなにか香りや余韻がひろがる感じ(べとつくのはだめ)というのがぼくの好みなのだ。どうもこのごろのクラフトビールを飲んでいて感じるのは、海外の評価と日本の造りのその評価の差異があるとすれば、ここにひとつ違いがあるとおもうのだ(ただ、国内のクラフトビールでも評価がこのごろ高いものはもちろん後口の豊かさが充実してきている。箕面ビールしかり)。結論、「櫛羅」は総じてすばらしい酒だ。若人がこういう酒を選んで買ってきてくれるのがうれしい。というか、よろこばしい。なかなか鍛えているようである。そういう酒とのつきあいをしているというのを感じて、なんだかそこがいちばんうれしく、おいしさが増すところでもあるのだ。