みずたまり

はしりながらねむれ

かたばみ

かたばみ道ばたに座り込んで草をみていた。かたばみが繁殖していることろがあって、なんだかそこだけ整えたようにうつくしい。実際には、繁殖力があって、除草がたいへんなのだろうが。除草しなくていいような気がするのは、雪国にすんだことがないひとが雪掻きをしてみたいというようなものだろうか。

昨日、今日と野田首相原発の必要性を語っている。「国民生活を守るために必要だ」とか、「精神論だけでやっていけるのか」とか「私の責任で」とか、まったくもって理解できないロジックだとおもう。ぼくなどは、国民生活を守るために原発をやめてほしいと思っている。代替エネルギーのことや消費電力を抑えるための努力を精神論といっているのだろうか。そして「私の責任」って。何かあったらどうするとかもおもうし、なにより、通史的な視点でみてこの選択のまちがいをどうすることが責任なのだろうか、などとおもう。がっかりするばかりだ。

そんな本日、「塔」6月号が届いていた。