みずたまり

はしりながらねむれ

テオクレ?

 姜尚中とテッサ・モーリススズキ『デモクラシーの冒険』(集英社新書)が昨日届いた。姜尚中はここ数年ずっと追いかけているし、テッサ・モーリススズキは特にここのとこかなり注目している人だ。目次の前のページにミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた』未来社1983の一節が引用されている。
 「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した-しかし、それは遅すぎた。」
 ぼくたちのまわりも同じだ。火の粉がジブンに及ぶならばそうはいっても立ち上がるだろうとみんな思っている。ぼくもどこかで思っている。でも、自由や権利はずっとずっと遠くの彼方の関係なさそうな法律をかえることや人の心を変えることによってしらぬまに狭められ骨抜きにされてしまう。立ち上がろうと思ったとき、すでに立ち上がることができなくされてしまっているということに。丸山真男「〈である〉ことと〈する〉こと」の権利の上に眠る者を思い出した。こわい。いま何ができるか。この本を読みつつも考えてみたい。
 さて、短歌例会投稿締め切りもいよいよ目前。本日中になんとかせねば。