みずたまり

はしりながらねむれ

シカゴの帰りに

シカゴの帰り快晴のシカゴを出発。バスのなかで、行きの途中のミツワの旭屋で購入した『世界』11月号を昨夜につづいて読む。日本語らしい日本語を読むのはずいぶん久しぶり。いつもならとばし読みをするのにどれもこれもおもしろく興味深く、また日本語に飢えていたのかほとんどすべてに目を通した。特集「総理専制政治とどう対決するか」の各論や寺島実郎の小論、大澤真幸とサリー・ポッターの対談、マサオ・ミヨシへのインタビューなどをなんだかリアルに感じた。そのほか、この号は六ヶ所村のルポ、南京大虐殺のことなどとにかく興味深いトピックにあふれている。読んでいるうちに、一見関係のないトピックがアメリカに来てシカゴを体験したからか、それらを妙にリアルに感じた。ブッシュが目指している「その王国は極端な貧富の差にもとづいた階級制度によって支えられている。その意味では、アメリカ合衆国こそ、民主主義が蝕まれ続け、階級社会が称揚される唯一の国である(p.188)」とのマサオ・ミヨシの指摘。それは小泉的なるもの=いまの日本も同じであろう。おそろしいことだ。阿部菜穂子「イギリスで巻き起こる『給食革命』」もまた同一線上。サッチャーの小さな政府によって学校教育が民営化され、競争原理主義で低コストが優先され、給食がハンバーガーやファーストフードのような冷凍食品だらけになったということ。ぼくの経験したアメリカの高校の給食もイギリスと同じであり、まさにこの通り。現在の日本では学校給食の民間委託を念頭に置いた合理化が論じられているそうだ。おそろしい!阿部の言う「イギリスの学校給食がたどった道は、公共事業の中には、民営化に馴染まない分野もある、ということを示しているように思える」という指摘は、そのまま金子勝杉田敦が指摘する「民営化信仰」「既得権益」「正義」「二分法」という日本の政治や意識と一致する。「誰かが創りだした繁栄を予見として、『自分だけは割をくわないように』という分配の議論だけを繰り返している愚に気付かねばならない。働き甲斐のある創造的仕事を生み出すことなしに国民の幸福はない(p.35)」との寺島のことばを噛みしめつつ研修後半を過ごそうと思う。