みずたまり

はしりながらねむれ

みずたまり第53回例会

今月の例会には、大阪のユウコさんと島根の文さんという県外からの参加者があった。すごいことになったものだ。池本先生をふくめて総勢10名の例会は初!大きくても小さくてもみずたまりにみずたまりあん。パレットとっとりの大きな部屋(値段は文化団体申請済激安価格)で開催。いつものように池本先生の3選。
 ◎ アスペルガー・食物アレルギー・弱視の児 診断名が先に入学 《くみてぃ》
 ○ 太ってるところがぼくの長所ですきみ満面に笑みをうかべて 《貴》
 ○ こんなにも小さかったか責めすぎた君のグレーのTシャツたたむ 《荒暮》
 アスペルガー」の歌。これは今月の題詠「学校」の一首。現代の世相をよく反映した歌。「知りませんでした」ですまされないような風潮が何事についてもある。たとえば、学校に入学するのに子どもの病気やアレルギーを「知りませんでした」ではすまされなくなってしまっている。そういうところうまく表現していると先生。「弱視の児」だけが現代的な病とはカテゴリーが違う感じなのでそこをぴたっとしたものにする(オーティズムとか)。「・」はいらない。動詞がなく名詞を連ねた印象がつよいので「診断名が先に入学」→「診断名がまず入学す」と動詞を使う。
 「太ってる」の歌。池本先生は「太っているということは単に太っていることが悪なのではなくてそこから想起する鈍さなのどイメージで太っている人を扱うようなところがある。世間は。でも、そのことを屈託なく長所だといっているところがおもしろい」と。「満面に笑み」あたりは通俗的な表現だから再考の余地があるとも。
 「こんなにも」の歌。ぼくの歌。先生は、夫婦げんか的な歌とするよりは職場や学校などのワンシーンと考えた方が広がりがでるから「ロッカー」などの具体を配したらよいと。下句を「紺のTシャツロッカーに残る/に2枚」などにするべきと。
 いつも思うことなのだが、池本先生は見方をずらしている=発見的認識のものを評価なさる傾向がつよい。先生はそれを「内容」とおっしゃる。総勢10名での反省/歓迎/祝賀会@ビザールでもそうおっしゃっていた。「表現はあとからついてくる」と。そう言われるとものの見方を重視されていることにほっとする、いっぽうで「あとからついてくる」はずの表現の技量が伸びないのは…。数は力なり。やっぱり今回の例会でも数多く歌を作る必要性を感じた。に、してもたのしい第53回であった。みなさまおつかれさまでした。