みずたまり

走りながら睡れ

ずっとありつづける

くれがた消化できないものがあるというのはなんとなくいやなものである。実際ぼくは悩みなど持ちつづけるのに長けているほうではない。でもだからといって、じぶんのなかにずっとのこっていて、消えにくいものを、流し去ることも気分のよいものではないだろう。近くの駐車場が今日の日の暮れ間際に、なんだか美しく見えた。

モルトウィスキー・コンパニオン』(小学館2011)の最新版のすばらしさはいつかここにも書いた。今夜はどうしてか、そのはじめのほうに書いてある「モルトウィスキーの起源」を読み返したくなった。

ブドウの木は先史時代にその起源があるのに対して、大麦は文明の始まりを画した。人間は狩猟採集生活者として、ブドウのような野生の果物を摘んだ。しかし、元気と栄養の源であるこの果物は木になっている時間は短いが、腐敗(あるいは自発的発酵)してワインになる性質をもっていた。果物は雨水を土壌から吸収し、それを非常に発酵しやすい甘い汁に変える。自然界のイーストが発酵を促し、このプロセスがアルコールを造る。おそらく、狩猟採集生活者はでき上がったものを喜んだが、ワインから必要量のタンパク質を得ることはできなかったであろう。
人間が 遊牧民であることを止めて組織された社会に定住したのは、作物を耕作するためだった。これを証明する最古のものは1万3000年前から8000年前の間のものであり、中近東の肥沃な三日月地帯のいくつかの遺跡で発見されている。最初の作物は大麦の原形種だった。そして、その利用法に関する最初の記述はシュメールの粘土板にあるビール造りの描写である。時折、この記述はあらゆる意味で世界史上初のレシピとして説明される。
大麦を育て、麦芽に変え、さらにビールに変えることは、ウィスキー造りまで半分来たことである。(p.15)

どうしようもなく、ありつづけるものがあったとして、それが残りつづけているとして、それでいい。もちろん、それが消えていったとしても。いいんだ。