東北の旅
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東北と言ってすぐにおもうのは、ぼくのばあいは、(震災とか原発をのぞくと)ひと、なかまのことだ。ウィスコンシンのメンバーが山形に2人、仙台に1人。それから塔の仲間のとくに仲の良いなかま。それから、偶然なのだけど、マディソンウエスト高校に当時留学生としてきていた若人がやはり山形にいる。土日が塔の集まりなので、金曜日になんとかしてウィスコンシンのなかまとマディソンウエストで出会った若人に会いたいとおもって連絡をとった。するとみんな会えるという。それでまず、金曜日は鳥取発8時40分羽田9時55分着の飛行機で東京に向かった。そこから山形新幹線で山形へ行った。予定より随分はやくついたので途中かみのやま温泉駅で降りて、斎藤茂吉記念館へ立ち寄った。涼しいとおもっていたのだがこの日の山形は異常なる暑さ。なんとか記念館を見て回って、扇子で扇ぎながら山形市にたどり着いた。夕方6時には山形駅前のちょっとすてきな居酒屋(焼き鳥)をマディソンウエストで出会ったこうへいくんが予約してくれていて、まずはふたりでスタートした。ほどなく、しょうじぃとみっちぃが合流。こうへいくんはちょうど就職がきまったそのプロセスや留学のことを話してくれた。しっかりした、そして気の利く、とてもすてきな青年にこうへいくんは成長していた。うれしかった。しょうじぃやみっちぃはなんということもなく、8年前にマディソンであるいはシカゴで飲んでいたようになんでもない話をした。午後9時前に名残惜しくもそこを別れ、みっちぃとふたりで仙台行きの高速バスに乗った。知らなかったのだが、仙台と山形はとてもちかく、高速バスがいっぱい出ていて、約1時間(900円)で着いてしまう。着くと、らっしゃーがまっていてくれた。三人で、震災のことやそれ以外のこともなんでもないことをまた語った。とても温かくて、相変わらずで、会えたことをほんとにうれしくおもった。
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明けて、仙台から一関へ新幹線で行くと、塔のひとびとが集まっている。震災をおもわずに集まったひとはないだろう。貸し切りバスで気仙沼へいき、梶原さんの実家の早馬(はやま)神社という歴史のある神社へ行った。そこで、宮司さんであり語り部となってもいる梶原さんのお父さんや弟さんの話をきいた。最後には、唐桑地区の海産物と復興祈願の絵馬をいただいた。こちらこそお世話になっているのに、そんなことをおもうと渡されながら泣けてきた。人間というのはひとりではいきていないのだということをおもった。歌会もかるたもとてもよかったが、この梶原さんのご実家のみなさんに出会えたことはぼくにとってほんとうにおおきなことであった。人としてどう生きていくのか。
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ホテルは海岸の高台にあった。ホテル近くの復興屋台の焼き鳥屋さんにも伺った。翌日は南三陸などに行った。どのように書けばいいのかわからないが、とにかく、ひとりとしてどう生きるべきか、ひとりではなくだれかとみんなとどうすればいいのかなどをおもった。あいたいとおもうひとにあってきた週末だったのだが、やはりまたそうしているうちに、会いたいとおもうひとがうかんできていた。 それから防災対策庁舎の屋上から津波がくるたびにひとりひとりながされていったことをおもった。基礎だけがのこる土地にシロツメクサがたくさん咲いているのが印象的だった。まだ、語り得ない。でもそれをもちつづけようとおもう。
6階からの風景
そんなわけで、ちいさなちいさな原稿などもずいぶんと締め切りをすぎての提出となった。われながらなさけない。to do listとかcan do listとかつくらないとうごけないのかもしれない。
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ここのところは、初任のころ以来の時間外のお宅訪問がかなりつづいている。これという手応えもなくつづけるしかないのかもしれない。きっとぼくたちの仕事はそういうものだろう。今年はノーリアンズブラックも蒔く時機を逸したままだ。
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2005年から住んでいるいまのマンションタイプの賃貸とももうすぐ別れることになった。ふとみる景色がこの8年間ずっと(いっときはウィスコンシンにいたが)この6階のベランダや廊下からであったことに改めてはなれていくことのおおきさを思う。
なんでもなくて
目覚めてふと考えることがいちばん重要なことなのだろうか。という疑問をもったひとがいた。
ちょっとしたときにふと思うことがいちばんに思うことなのだとろうか。ということをたずねたひとがいた。
なにかをしているときにふと感じることはただひとりのことなのでやはりひとりだ。ということを言ったひとがいた。
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短歌という詩型においては散文や詩や俳句に較べて客観性や相対性がナチュラルに排除されやすいように思う。短歌の作り手は目の前の現実や一瞬の感情をかけがえもなく貴いと思い込みがちで、そのような主観の絶対化が、結果的に天然めいたユーモアに結びつくことも少なくない。(穂村弘「短歌の笑い」『びーぐる』19号2013)
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伝達を目的としていない文学のばあいではないシーンを考える。ひとがある感じや感情や思いを伝えるあるいは伝わるばあいはどうだろうか。例えば、その思いや感じ(たいせつにしているとか深くひびいてきたとか)ことが伝わらないと、あるいは、伝えようとしなければ、たいせつなんだから/深くひびいているのだから、その相手に伝えなくても自分のなかだけで完結しさえすればいいという主観の絶対化=傲慢さにおちいるとおもうのだ。笑いではすまされないのは、それが日常言語あるいは、日常性という文脈にあるからだ。主観の絶対化=傲慢=他者の排除ともいえそうだ、あくまでも文学ではなくて日常では、ということだが。
階段
冬の時期と花粉症の時期には外を走ることができず、また堕落した生活をしていたこともあってふとってしまっております。そんなわけで花粉症のうすらいだ4月下旬からジョギング&ウォーキングをふたたびはじめました。まだまだ歩くこと抜けずそのため距離を稼ぐためにいろいろなコースを試してみております。それで、今日は、コースというか市民体育館の前の階段を5往復することも加えてみましたのでした。
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鳥取市民体育館といえば、あだち充「タッチ」の最終回で出てくる大切なシーンの大切な場所です。インターハイに出場するみなみがやってきていた鳥取市立体育館に達也が応援にやってきて思いを告げます。その河川敷というかもぼくのコースにはいっております。はい。
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川というのは水のなかがれというかまあそういうものだけれど、水のながれが必ずしも川ではないわけで。火というのは東京オリンピックの聖火のように絶やさずに燃え続けさせているのもありますが、一般的には燃料がなくなれば消えるわけであります。 火と水、燃えることと流れること、はなんだか似ている気がします。でも、水は、流れは、すこし違うようにもおもえます。