牛乳
ここのところ牛乳を飲むようにしている。
どうしてかというさしたる理由があるわけではない。なんとなく500㎖パックを買った。そして、あたためて飲んでみた。するとこれが意外にも、予想以上に、おいしかった。それで、500では飽き足らず1ℓパックを今回は飲んでいる。実に美味い。
今夜は雪が落ち着いた。ちょっとだけ雪かきをしていたら斜交いのお嬢さん(といっても成人)が出てきてやはり雪かきをはじめた。「こんばんは」と挨拶した。それから本当にこまったことですねぇなどという話題から朝はやく家をでないといけないという流れになった。お嬢さんは、遠い職場なので6時にはでないといけないと。ぼくは6時45分ごろ出てます(ここ数日の雪のあいだ)といった。ぼくもわりと遠いと思うが、それよりもずいぶんと遠いところにお勤めなのだとおもった。斜交いに住んでいるといってもまだこの町に住みはじめて3年くらいなので知らないことは多いのだ。
雪かきの後、あたためた牛乳を飲んだ。
河野裕子短歌賞のこと
河野裕子短歌賞に2年連続で応募した。
といってもぼくではなくて若人たち。少数精鋭で去年は入賞2名+入選1名。もう去年のことになってしまったけれど、本年度は入賞1名+入選3名。40名×2首の応募でしかしていないので受賞率としてはすこぶるがんばっていることになる。(本年度の「青春の歌」部門の応募総数は15,070首)
入賞作品と入選作品をみるとわかるが、組織ぐるみでというか学校全体で取り組んで相当数応募しているところがある。学習院女子高等科というのは、もうすぐ発表がある若山牧水青春短歌賞の受賞作にもたくさんでてくるのできっと現代短歌をやっている仕事人がいるのだろうとおもう。それとも短歌をつくることに長く取り組んでいる伝統校なのか。そうそう、その若山牧水青春短歌賞にもこじんまりと50名ほどでやはり応募している。こちらに応募するのははじめてなのでどうなることか。永田和宏さんや紅さんという選者のところまでいくつか残っているといいなとおもうばかりだ。
羅城門(羅生門)と京都タワー
ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。
これは芥川龍之介「羅生門」の冒頭部。「羅生門」と言えば、高校の現代文の定番中の定番教材だから日本の高校に通ったひとならかなりの割合でならっているはず。記憶に残っているかどうかは、別として。。。
メルパルク京都で塔短歌会の京都忘年歌会が行われた。会場は6階。何とはなしに廊下の窓から下をみるとメルパルクのほぼ真下に朱色の模型の建物がある。「羅城門(羅生門)だよ」と吉川宏志さん。「あれ?こんなの前からありましたっけ?」とぼく。少し前からあったそうなのだが、まったく気づいていなかった。11月は2回。今月も2回京都駅には来ているのに。何よりたったいまその前を通ったのに、である。見えるものしか見ていなかったわけだ。
忘年歌会のあとは忘年会。そして2次会。別れ際には「よいお年を!」と言い合う。それからライトアップされた羅城門を何枚か写真にとっておく。お酒が入っているのに、いつかつかってやろうなどというやーなことも頭の片隅に。職業病だ。やだやだ。
羅城門と京都タワーを入れて写真をとってみた。芥川龍之介も黒澤明もこの図は思わなかっただろうなぁ。
胖大海
このところ同僚が喉をいためている。ひとりでもふたりでもなく結構たくさん。そういうみなさんに、ぼくはよくハンドマイク買わなきゃなどと擦れた声で言われる。ぼくは喉がわりとよわくて、すぐに声がでなくなる。でも仕事がら、声をださないといけないので、小さなハンドマイクを持っている。Amazonで2000円くらいのかわいいもの。すこしでも喉が痛くなったらすぐにこの小さなハンドマイクをつかうので(ちょっとした名物)、喉を痛めている同僚のみなさんはハンドマイクを言うのだろう。
いま思うとやり残したことというのはたくさんあって、なかでも大学院時代の中国文学の演習こそはやり残したというひとことではすませないほど悔しいものだ。といってもぼくは中国文学を専攻していたわけでもなく、別の学部に所属なさっていた筧久美子先生の研究室へ行ってゆったりとお話しするというようなものだった。このゆったりになんともやっつけられたのであって、吉川幸次郎門下である彼女はやはりそうとうな見識というかすごいひとだったのだ。まったくもって深いぶぶんを彼女に学んでいなかったのだと後で気づいた。そんなやや苦い記憶のある先生なので逆に出版物(もちろん素人のぼくがよんでもわかりそうなもの)が出ると購読するようにしていた/る。先生の書籍の一冊に(しかもちょうどぼくが大学院在籍中に出ていた)『中国の食卓 茶余閑話』筑摩書房という中国の食材などにまつわるエッセイ集がある。漢方や珍味が沢山出てくるだけでも楽しいうえに、筧先生はひじょうに文章がうまい。ふとしたきっかけで先日、ひさしぶりにこの本をめくってみた。やはりよませる文章とはこのこと。ぐいぐいひきつけられてどんどんめくってしまっていた。それで、ああ、とおもったことがある。当時はネットで検索する環境はまだまだ未成熟だったのだけれど、いま、ここに出てくるモノを検索してみるとおお!これか!と手に取るようにわかるのだ。
それで、喉にいい漢方の話がやはり載っていて、読み直した。「胖大海」。先生の本には「バンダーハイ」と発音に近い表記で書かれている。
しばらく前、わが家に泊まった中国の女性が就寝前に白湯がほしいと言ったとき、はじめてわたしはそれを見た。ちょうど翌日、彼女はある出版社の依頼で唐詩を朗読することになっていたので、緊張のあまり眠れないから睡眠薬でも飲むのかと思ったのだが、そうではなかった。彼女の湯呑みに熱湯を注ぐと、中に一つ、褐色のドングリみたいなものが入っていたのである。「なんですか、これは」「のどのくすりです」「のどが痛いのならトローチをあげましょうか」「いいえ、別に病気ではありませんから」「それじゃこれは?」「明日、声をたくさん出すから、のどをうるおしておくのです」話しているうちに、湯呑みの中に入っていたドングリがふくれて、ふんわりと浮いてきた。(筧久美子『中国の食卓 茶余閑話』筑摩書房p.p.190-191)
「トローチ!」いやいやそこじゃない。そこじゃない。
検索してみると、おおお!あるある。買ってみようかな。
http://www.kanpou.cn/goods-921.html
http://besttojp.com/Product/pangdahai.html
http://y-u-z-i.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_b0d8.html