みずたまり

はしりながらねむれ

コンドラチェフ

伊藤一彦さん10月31日午後2時から鳥取県東伯郡琴浦町にある「まなびタウンとうはく」というところで伊藤一彦さんの講演がある。ぼくはと言えば、送迎係である。このところ鳥取は雨つづきでありかつ寒い。伊藤さんをあたたかくお迎えできるとよいのだが。

ちかごろ、忙しさにかまけてジムがよいがおろそかになっていた。油断をしていたら、またぶにょっとしている。いかんいかん。ということで、近頃は、腕と脚を連動させて動かすマシンにのっている。おそろしいほど疲れるので、短時間しかのれない。

こうした反復性は世界資本主義における「コンドラチェフの波」と呼ばれる約六〇年の景気循環を示している。経済的な観点から見ると、一九三〇年代には「後期資本主義」への移行があり、さらにその六〇年前、つまり一八七〇年代には、自由主義から帝国主義への移行があった。その意味では、一九九〇年代には、グローバルな市場経済への移行が生じるだろう。しかし、私はそれらの時代区分periodizationに関心をもっていない。関心があるのは、それらの時代的差異を超えて貫徹されている反復脅迫である。/一九九〇年代が一九三〇年代に類似するだろうというとき、それはけっして同じ出来事が繰り返されるということを意味しない。反復がありうるのは出来事そのものではなく、その形式においてである。出来事そのものは反復を避けることができる。なるほど、ファシズムホロコーストの記憶が消されるならば、それが再現される危険はある。しかし、それらが十分に記憶されていたら、危険を避けることができるだろうか。反復されるのは出来事そのものではなく或る構造であり、それは逆に出来事の記憶の消去あるいは捏造をもたらすのである。(柄谷行人「表象と反復」、カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日[初版]』平凡社2008p.p.268-269)