みずたまり

はしりながらねむれ

九条の会-小森陽一@鳥取-

小森陽一新聞の小さな記事に小森陽一が講演のために鳥取に来ると載っていた。小森陽一といえば、院生時代にはよく読んだ。『構造としての語り』(新曜社、88) 、『文体としての物語』(筑摩書房、88) 、『読むための理論』(共著、世織書房、91) 、『総力討論 漱石の『こゝろ』』(共編著、翰林書房、94)などどれも印象深い。働きだしてからも『漱石を読みなおす』(ちくま新書、95) 、 『出来事としての読むこと』(東京大学出版会、96) 、『ナショナル・ヒストリーを超えて』(共編著、東京大学出版会、98)、『小森陽一、ニホン語に出会う』(大修館書店、00) 最近でも『思考のフロンティア ポストコロニアル』(岩波01)や東京大学出版会のシリーズ本、『天皇玉音放送』(五月書房、03)など追いかけてきたつもりだ。果たして今日は、はじめての「生」小森陽一。「九条の会」の事務局長としての講演ということ(しかも無料!)。彼の最近の言論の活躍ぶりなどからあつい講義が聴けると期待大であった。ところが、仕事になかなか決着がつかず、会場の鳥取市文化ホールに着いたのは6時30分を少しまわっていた。一番前に座った(はじめ若干の空席はあったが後の発表ではほぼ満席になったとのこと)。さて、その講演。ぼくなりに様々な講演に参加してきたが、総合的に考えてこれまでで一番!ベスト!内容といい話し方といいすばらしかった!院生時代からの憧れの人は、賢くて穏やかで切れがあって、ひさしぶりに衝撃を受けた。配布されたレジュメの項目を過不足なくフォローしつつ切れ切れにならない話しぶり。書いてあることを読み上げるわけでもない、情熱的で知的な語りかけ。ときに会場を笑わせることもあり。憲法をめぐる論点と世界の趨勢がすばらしく整理されていて、よく理解できた。帰ろうとしていると、ホールの出口に小森さんがいた。参加者全員に頭を下げていた。ぼくは、知らず手を出して握手をしていた。「一緒にがんばりましょう」という小森さんの手の柔らかさと瞳のまっすぐさがぼくの心をわしづかみにした。何か一歩できることからはじめてみたい。