みずたまり

はしりながらねむれ

教科理論研究会in石山

きふじん尊敬でき、信頼できる、仲間との勉強合宿に参加した。夏はいろいろ都合がつかないので、年に1回だけの参加となるのはぼくだけ。ぼくのやっていることをするどく理解・批判してもらえる眼がたくさんある。これぞ信頼と尊敬の関係であるとおもう。

JR石山駅で降りるのは実のところ初めてであった。だから、新快速が停まるのもしらなかった。石山寺へは時間がなくて行けなかったが、瀬田の唐橋のふもとの宿舎で過ごしたのがよかった。瀬田川はボートが盛んに練習していて見ていて、コックスの声をきいていて心地よかった。 

合宿の夜は、外でフレンチをいただいたあと、部屋のみ。これがすごかった!世界のビールが買い込んであり、また参加したみなさんがそれぞれの土地のお酒をもちよってくださっていた(ぼくはせず)。北会津ワイン「白貴婦人」はわかくてフレッシュな食中酒にぴったりの感じだった。明治33年の創業以来、自家製のぶどうをつかってワインをつくてっているということであった。 

日付としては3月11日になった。いまあの日、午後3時17分に届いた友人からのメイルを読み直している。そうして考えていると、この日になってあらためてここに何かを書くことがひどく軽薄な気がする。毎日がむしろ震災であるはずなのだから。

日付としては3月10日の朝日新聞の「ひと」欄に大口玲子さんが載っていた。単純とかわかりやすさがあのくらいの短い文章には求められるし、読者だって、短歌に興味をもっているひとばかりじゃないことはわかっている。けれど。むしろわかりやすくするときに捨象されたものこそがそのものではないかとおもった。記事がわるいとかそういうことでは、決してなくて。

内田樹村上春樹(こうなれべるとどちらも樹だ)が世界レベルで受け入れられ共感されることを論じているときに、どうしてわたしだけしかしらない物語と同じことがここに書かれているのかと読者がおもうのはどうしてかというようなことを書いていた(と思う)。評論家は、例えば、中国の若者に村上春樹が受けるのは「孤独感・喪失感」が共鳴するのだと言うけれど実はそうじゃない。もともと中国の(例えばのはなしですよ)若者に「孤独感・喪失感」というものが心の中にあって、それにぴったり合致するものを村上春樹が用意しているのではなく、いや、そういう既視感ではないだだと言っていた。じゃあなにか、それは、村上春樹の作品には、もともと読者になかったものをその読者がもともともっていたように記憶を再構築させて既視感にするような強い力があるのだと。言い換えるならば、作品を読むことによって、読者にはもともとなかったものを、あたかも既にもっていたのに確固たる名付けが為されぬままであったもののように記憶を書き換え、その上で、ぼく固有の物語がここに書かれているのだ!と思わせる二段階の作用をうけてしまっているのだと(かなりざっくりの記憶による記載)。

あるものをないように感じることを日常と言うのであろうか。
ないものをあるように感じることを日常と言うのであろうか。

ぼくたちじしんが星であるのならば、この星をまわしつづけるものはなんなのだろうか。
 

認知言語学など

えだここのところ朝少し雪が降っている。昼には溶けるほどの雪であるが、職場の駐車場にある桜の古木などはなんだか、『モチモチの木』に出てくる滝平二郎による挿絵のような感じである。むろん朝なのだけれど。

めずらしいことなのだが概念について議論している夢をみた。レイコフとジョンソンとかプロトタイプ理論とか認知言語学とか認知意味論的なことがでてきた。大学院のころに読んでまんまの理解なのだけれど、出てきた。われながらそういうことを覚えていたというか残っていたのだと不思議に思った。いまごろ認知言語学とか認知意味論というのはどんなところまでいっているのだろうか。 

TSUTAYAの旧作100円セールとか、火曜日は旧作半額とか、旧作5本で1000円とかいろいろあって、気づくと今年になって案外観ている感じになっている。ま。最新作品とか人気作品とは無縁なものばかりであるけれど。

クロストーク@同志社女子大学

郡家駅質的研究であり、ライフヒストリー研究であり、ナラティブの実践的研究であるところの、13年め?のクロストークを週末に今年も行った。今年は、何といってもぼくが3年の沈黙?をやぶって、4月から現場に復帰したので語りきくことは甚だ多いのである。いくら時間があっても語りきれないとはまさにこのこと。あ、そうそう、会場はいつもの同志社女子大学ジェームズ館の一室。何度来てもすてきな館だ。今回は、次善に資料もほぼばっちり揃えて(先輩に誉められる)迎えたこの日であった。充実というよりも信頼をおおく感じたことであった。

 語り合うことを終えると、京都駅のman in the moonへ。三人でひとしきりビールを飲んで、また語った。

その夜。思いもしないかなしい報せが届いた。

薪ストーヴ

薪ストーブ金曜の夜から先輩同僚の山の別荘?にいった。去年もお邪魔したのだが、ここには薪ストーヴ(クアドラファイアーのカンバーランドギャップ)がある。ぼくがはじめて薪ストーヴなるものを直に体験したのは、これまた先輩の○Tさんのところであった。ここの薪ストーヴはかの!JOTULヨツール!憧れのブランドでありだれもが知っている薪ストーヴ界の大様。ただ、ここのは火を見る感じではなくて焼いたり焚いたりしながら、とてもあたたかくて夜を過ごしたことが思い出という感じだった。これが噂にきくヨツールの力か!と。それから、身近にいくつか薪ストーヴを導入なさったというのをきいたり、ときに伺ったりした。

話を戻すけれど、薪ストーヴは火がとてもうつくしい。今回お世話になった山の別荘のもちぬしの先輩Kさんには、大山界隈の阿弥陀川そばで二人キャンプにつれていっていただいたこともある。そんなふうに本格的に山好き自然好きの先輩(ぼくはまったくなんちゃって)。そして、そういう彼にとっての薪ストーブは嗜好品ではもちろんあるし高い買い物でもあるのだそうだが、何より、「循環」という思想の具現なのだそうだ。だから、あっちで木が切られたときけばその枝をもらいに行き、家が壊されているときけば廃材をもらいに駆けつけているそうだ。そのおかげで、薪の木の種類もことさら豊富。昨年体験して以来とりこになったのは、「うばめがし」。悪魔のような襲い来るような炎だ。 桜もすてきで、襲い来るほどではなくてひろがりがあって炎がなくなってもちかちかとあかるくい。葡萄もやっぱり機密性が高い木材なのでよく燃える炎がうつくしい。そんな火を見ながら、気の置けない友人たちと鱈鍋をいただき、肉や魚を七輪で炙り(室内でも出来るような設備がつくられている)、酒を飲んだ。気づくと知らない間に、みんなそこに寝てしまっていた。時折、目覚めた者が、薪を加えて火を絶やさないようにして朝までを過ごした。

なんでもないこと

もう2月だ。先月、アラブの春から2年経つとおもっていたところだった。

今年は年賀状のお年玉くじがひとつもあたらなかった。100枚あったのに。

このごろは、なんだか、だれともしゃべっていないような気がする。葉のない樹をみていると。

帆船に乗る夢をみた。ホワイトフィッシュ・ベイの桟橋ちかくに高いポールがあった。毎日その前を通り過ぎ家にかえると、それから、もういっかい引き返してそこまでいった。ポールのある桟橋までいく手前は砂利を敷きつめた駐車場のようになっていて、ぎゅぎゅっと石が詰んだ音をたてていた。ホワイトフィッシュ・ベイはミシガン湖畔であはったが、ずいぶんと田舎であったので、帆船が来ることはなかった。少なくともぼくが毎朝、毎夕行っていたころには。どこかレストランのようなところに行ったときに、美しい帆船がケースに入っていた。目覚めたいまおもうと、そのケースに入っていた帆船に乗っていたのだろう。どうしてそういうことになったのかはわからないけれど。

波が来ている

らっせるどうしようもないことなのだけれど。いろいろ波がある。先月はもうものすごく海外いきたい波がおそっていて、なんとか2泊3日でもいいから、近場でもいいから、海外へでることを目論んでいた。もちろん単独行動である。そういえば、去年の今頃はロンドンへ行くことを決めていて、らんららんだったなー。など思うわけである。

そうこうしていると、先週あたりからiPad miniがやたらと欲しくなってきている。この製品にはいろいろ厳しいレビューもあるのだけれど、ぼくの場合は、スーパーはくとでの移動中に映画を観るということにほぼつかわれることになるとおもう。それから、iPhoneテザリングできるようになったので、iPad miniでのネット的使い勝手もきっとうまれてくるだろう、などと考えるとだんだんほしくなる。そんな昨日、むかしの職場でもいっしょだった先輩が「あらくれにほんかいくんのすきそうなもの買ったよ」と手招きする。みると!なんと!がーん。買ってしまっている。使わせてもらうと。軽い~♪ほしい~♪もちろんローン。

 今日はことさらあたたかかった。センター試験の前の頃にはかなり寒かったのに。