みずたまり

はしりながらねむれ

判断の基準

そら金曜の夕方。いいがかりめいたいや、思い込みの激しいクレームの電話がかかってきた。ちょうど仕事が終わりそうなときであった。正しいか正しくないかとか、事実か事実でないかとか、確認したか確認しなかったか、などで一般的には白黒はっきりするのだが、ぼくのいる世界は残念ながら誰が言ったのかということによって対応がかわる。なんともざらりと残る。

選挙が差し迫っている。鳥取自民党が支配しつづけたところ。先の政権が変わる革命的な選挙においても、変わることがなかった。報道によると、大接戦なのだそうだ。ぼくは、日曜日はちょっとばたつくので今日先ほど期日前投票へ行った。わりと人が多くいた。小選挙区比例区と投票し会場をでると、NHKの出口調査ですということで記入用紙を渡された。選挙権を得てからほぼすべての投票を行っているのだが、出口調査ははじめてであった。仔細は忘れたが、小選挙区で誰に投票したか、比例区ではどこに投票したか、判断基準はなにか(雇用・景気、社会福祉、安全保障、などなどから選択)、そして最後に消費税引き上げにつての賛否がとわれていた。

帰りしな、選挙カーとすれ違った。白手袋、笑顔、立候補者名の連呼である。立候補者名の連呼は投票行動にはほとんど影響しないだろう。なぜなら、反復によって名前を覚えさせたいのだろうが、名前を知ること自体はなんでもないことなのだ。投票所へいけば名前は張り出してあるのだから。